2013.1.24

針小棒大

有川雄二郎

 

私は生来、「大きな」発想というものがなく、大きな夢、大きな志、大きな心、大きな目、大きな愛など一切かかわりなく生きてきた、小さな人間である。その小ささは他人でもわかるらしく、高校で将来の志望を問われ、「サラリーマンとなりあまり働かず、企業のダニと言われてもしがみつき、人生を全うしたい」と答えたら、先生に舌打ちをされ、「有川、お前、もっと大きな志を持てないのか」と投げ捨てるように言われ、また、元妻が子供の高校の入学祝に私に内緒で、高額なフランス製の自転車をプレゼントしたから、勿体ないので自転車屋に持ち帰り台湾製と代え差額を返してもらったら、「大きな愛でこどもをつつみたかったのに」と詰問され、「私は小さな愛が好きなのだ」と答えたら、「子供にはあなたみたいなちっぽけな人間になってほしくないのよ」と蔑ろにされ、現在でも社員から「社長には大きな夢がない」「大所高所から見る大きな展望がない」「部下の失敗を笑って許す大きな心もない」など、と、私とある時間接触をすると、必ず人物の小ささ、心の貧しさを指摘され続けているのだ。
確かに大きな事は苦手だが、その代わり些細なこと、小さなことは得意であって、小さな問題にはこんこんとあふれるがごとくにアイデアがわく。問題が小さくなればなるほど、心が落ち着き、得意となり、雄弁になる性格なのだ。
世間は小さなことにこだわることを馬鹿にするかもしれないが、評論家は「神は細部に宿る」と言い、賢人チェスタートンも自分の著書をtremendous trifles としている。そこで、細々とした私の心が最近気になっている気になって仕方のない細々としたことがいくつかあるので、それを述べて、神に住処をご奉納したいと思う。
①ポイントカードの問題:
まず、やめてもらいたいのはポイントカードである。ポイントカードは、不合理で、使う人の性格をいやしくし、また国家転覆の可能性すら秘めている。しかしながら私がポイントカードを嫌う、もっとも大きな理由は、それらのことではなく、私が損をした気分になるからである。
暮れに整理したら、机の中から58枚、財布の中から18枚のポイントカードが出てきた。スーパー、百貨店、理髪店、クリーニング屋、喫茶店、洋服の青木、洋菓子店、ラーメン屋、マッサージ、書店、CDショップ、薬局、ビジネスホテル、花屋、レストランなど。ハンコ式カードは初回の1回だけしか捺印していないし、磁気式カードは中にどれほどたまっているかわからないが、振ってみても音もしない(ほかに調べる方法がない)。したがってたまってないと思われる。
 このカードの山をいったい、どうすればいいのだ? 大体、今となっては、これらのカード、何の店か、店はどこにあるのか、見当もつかない。もうポイントを増やすことはできない。それに、多くは期限切れである。結局、これらのカードの山は、無駄だったのだ。無駄、というよりももっと積極的に、なにか、損をしている、金を取られたというような実感がある。強い実感だ。それはやりきれない徒労感というのだろうか、プレゼントした女の子なのに応答がないというような、冷蔵庫に入れておいたイクラにカビが生えてしまったような、みじめな気持ちになる。ポイントカードは、こうして、加入者に使用させず、損をさせ、惨めな気持ちに追い込む。
ポイントカードの嫌いな理由の第2の点は、人間が卑しくなることだ。私の仕事上で付き合っている鈴木君は、普段は笑顔を絶やさない好青年であるのだが、マイルを貯めることになると人が変わる。出張にさいして、JALのマイレージのために、使われる空港が限られ、わざわざ目的地から離れた空港に降りるようなことは目をつぶるとしても、これらの飛行機代はもちろん、レストランでもホテルでもレンタカーの支払でも、請求書を奪うように取って、「僕に払わせてください」と自分のマイルカードで払い、しかもその場で私からその支払金を回収する、現金で。「これで1000マイル増えましたよ」と喜んでいるのだが、その強引で、がつがつした態度が実に卑しいのだ。また、レジでカード忘れたのだけど、次回つけてくれるかしら、などと押し問答をしている主婦の姿も見受けるが、けち臭いものだ。けち臭いのは、カードを発行するのもそうで、目白のスーパーでは還元率は10000円につきたった20円なのだ。また、前住地浅草のスーパーではポイントの有効期間はたった1か月なのだ。どちらも、よく恥ずかしくないな、と思う。これも、ポイントカードを発行したものの、払うのが惜しくなって、かような結果となったのだ。ポイントカードは発行するほうも、集めるほうも、かかわる人の人格を卑しくするものである。
  ポイントカード、第3の罪は、その本源的な不合理性にある。人間性を卑しくしてまで、なぜポイントカードを導入するのかと、店に問いただしてみると、それは客にサービスをしたからだという。それなら、ただ、値引きをすればいいじゃないか、と重ねて問う。すると店は、いや、ライバル店もポイントカードをやっていますから、こちらもやりませんと競争に負けてしまいますので、と本音を言う。それなら、他店と共通のカードのすれば、客は便利でポイントもたまりやすいし、店もカードの手間・経費が半減する、共通にしなさい、と言うと、いえ、そんなことはできません、と頑固に納得しない。こんな簡単な理屈がわからなくなっている。ポイントカードは、合理的な思考を奪う、理性に矛盾した制度なのだ。
  そもそも、ポイントカードにはポイント還元コスト以外にカード制作代、告知費、プログラム代、通報システム、ランニング費用などかなりの費用がかかるという問題がある。だから、それに見合う売り上げ増をポイントカードはもたらしているのだろうか、という経営合理性上の疑問が生じてくる。おそらく、費用をカバーする収益はもたらしてないだろう。企業の利益に相反してまで、ポイントカードになぜこだわるのだ。
  ポイントカードがいかに人の心から合理性を奪い取っているのか、ということを、私が体験した次のエピソードからも立証できるのである。
  SAPの事務所のすぐ近くにセブン・イレブンがあって、私はヘルシアを買いに行くのと、会社で辛いことがあって傷ついた心を癒しに、毎日のように行く。1日2回も3回もいくこともある。そこが昨年秋から、ポイントカードの加入キャンペーンを始めた。コンビニは都会のオアシス、憩いの場であって、ポイントのような、せこいものは雰囲気に合わない気がするのだが、まあ、それは良いとして、店員の勧誘がくどいのだ。マニュアルに従っているのだろうが、3段階で攻めてくる。レジで商品を提示し、お金を払おうとすると受け取らずに、「○○カードはお持ちですか?」と尋ねる、「いいえ」と答え、代金を支払おうとする。店員は、お金には目もくれず、重ねて「200円で今すぐに作れますが?」と問いかけてくる。こちらは「いいえ、結構です」と答え、お金を押し付ける。店員は金を払いのけ、「今なら200ポイントついています。お得になっています。お作りなりませんか?」と問いかけ、どうだ、まいったかと少し誇らしげな様子だ。「いいえ、結構です」と断固として断り、そこで、初めて、店員もあきらめて、しぶしぶ金を受け取ってもらえる。
こうしたやり取りが、毎日続くのだ。キャンペーンなのだろうか、1か月たっても、判を押したように3段階のポイントカード勧誘がある。その都度、私は3回NOを言って、そのあと金を受け取ってもらうことが、毎日続いた。だんだん私は、その問答が苦痛になってきた。リフレッシュしようとコンビニに行くのに、また、ポイントカードの勧誘を受けなくてはならないのか、と思うと、行くのが憂鬱になってきた。
  そこで、首かけ用カードに「私はポイントカードは不要です。誘わないでください」と書き、セブンイレブンに行くときは、それを首からぶら下げていくことにした。半分くらいの店員はそれを読んでくれて(中には途中まで言いかけて、私のカードに気づいて、勧誘を打ち切る店員もいたが)、残りの半分はカードの文面を読んでくれなかった。そして、例の3段階加入攻撃をしてきた。
  このポイントカード勧誘キャンペーンが3か月目に入ったとき、たまりかねて私は、ポイントカードに関する理性的な意見を勧誘する店員にディべートをこころみることにした。
 「私の事務所はこの店から100m位にある。ここに来ているほかのお客様も、たいていは半径500m以内からいらしていただいていると思われる。500m圏外の、たとえば足立区や岐阜県からのお客様はいても無視してもいい程度の数であることは、君も認めざるを得ないだろう。つまりこの店の客はいつも決まった顔ぶれ、常連客で占められるということだが」、店員はあいまいに、うなづく。
「その事実から、二つのことが言えやしないか? 一つは、我々がこの店を利用するのは、地理的な利便性からであって、ポイントは誘因にならない。つまり君が行っているポイントカード勧誘は、顧客が望んでいることではないのだ。顧客は、ポイントがあろうがなかろうがこの店に来る。もし顧客サービスをしたいなら、すべての顧客は、私の事務所の前に、引っ越してきてくれ、ということのなるだろう。また、そのことから演繹されるのは、多分こちらのほうが君たちの行っているポイントカード勧誘の真の目的だろうが、店に売り上げ増大、この目的にはにはポイントカードはほとんど寄与しない、庄司君(店員の名。名札でわかる)、そう思わないか?」ロジカルに語る私は、次第にサンデル教授のような気分になる。
「もう一つ言えるのは、君はポイントカード勧誘を3か月続けているが、同じ客に対して勧誘を3か月しているということだ。3か月の間に、入る意思がある人間は既に入っている。3か月加入を続けて、いまだに入ってない人間は入る意思がないと、常識がある人間なら断定できるよね。」店員は煮え切らない態度だが、それに構わず、「3か月間約100回にわたって勧誘するほうも大変だろうが、勧誘され断る作業も大変な苦痛なのだ。どうですか、お互いに無益なことだから、停戦すなわち、もうポイント勧誘はやめることで合意しようじゃないか」と諭すと、店員は、小声で「そうですね」と認めるに至ったのである。
  理性の輝かしい勝利、と思われたその瞬間、小太り凶暴な面相の若い女性店長が裏口から出てきた。自分の部下が言いくるめられたのに腹を立てて、「このカードはお客様にとってお得になるのです。いいものを勧めて何が悪いのですか?」とまくし立ててきた。私は「1回勧めるのは構わない。2回勧めるのも構わない。しかし嫌がるものを10回勧めるのは、あまり褒められたことだはない。押し売りというジャンルになってくる。まして100回勧めるのは、押し売りを通り越し、ストーカー防止法に触れる可能性もある」と静かに答えたのだが、女店長は私に構わず、別の客に、大声で、「今だったら大変お得な○○カードご入会いただけませんか」とあてつけがましく勧誘を始めた。私は、ただため息をつくばかりであった。
  ポイントカードは、かくまで、人間の理性を損なう。

 

 それでも世の中にはポイントカードを愛し、骨の髄まで毒されている人もいるだろう。そんな人たちには、ポイントカードの有している矛盾を、あえて大小二つのケースを問いたい。

 

ポイントカードへの疑問・小。
ポイントカードは、今や、あらゆる業種にまで浸透している(新幹線でもある。ポイントがたまると無料でグリーン車に乗れるのだ)。しかし、たとえば、結婚式場や葬儀屋にはない。おかしいではないか? これをどう説明するのか?
たとえば○○典礼ポイントカードが10回たまれば、11回目の葬式は無料になるとかできないのか。わが有川家でも、250年ぐらいたって8代目の孫になれば、葬儀ポイントがたまって、大変喜ばれるかもしれない。子孫のためにポイントをためる、こういう大きな構想をもった葬儀屋は出てこないのか、小さな私が言うのもなんですが。(もっとも、鈴木君が、他人の葬式に自分のポイントにしてもらって、自分の葬式を無料にしてしまう。

 

ポイントカードへの疑問・大
 先ほどポイントカードを共通化したら、と述べたが、この際すべてのポイントカードを一体化する構想が可能である。大体の業種がそろい、スーパーや百貨店のポイントカードなら必需品はほとんど網羅され、さらにクレジットカードにもポイントがついてているから、高級品もカバーできる。するとその合同ポイントカード会社が発行するポイントがあれば、十分生活ができる。というか、そのポイントは通貨と同じになる。ポイント会社が、福祉的な立場で、要生活保護者にポイントを無償で上げれば、社会福祉になる。また、ポイントで学校を立てたり、病院を建てたりすることもでき、教員や医師もポイントで雇うこともできる。尖閣にポイントで作った護衛艦を派遣することができる。
  原資は消費者の負担ということだが、通貨と同じで、国債のように裏付けがなくともポイントを発行できる。
 こういうことは何を意味するのか。つまり、それはもう一つの政府だ。ポイントで賄われる予算を持った政府だ。それでいいのか?
といきり立ってみたけど、政府の一員ではない私は、ま、それでもいいか、と思うのだが。