2016.5.13

質問の限界

                                                     有川雄二郎

マクベスは自分の運命を魔女の大釜から生じた悪霊にいろいろと問い、「マクダフに気をつけろ」「女から生まれた人間に、お前を殺せるものはない」「ダーナムの森が動き出すまでは安全だ」と三つの答えを引き出して、安心した。そこで、もうひとつの不安であるバンクォー、その子孫がマクベスに代わって王になると言われたバンクォーについて、「バンクォーの運命はどうなるのだ?」と質問した。すると魔女たちから「お前は質問が多過ぎる」とたしなめられ、答えを得ることができなかった。質問は三つまでが相場なのだ。

質問ではないが、依頼・お願いのたぐいも三つまでが相場と言える。
西洋の話に、晩飯も、おかずがなくて、ひと切れのパンしかないような貧しい老夫婦に神様が現れ、「貧しき者たちよ、願いを三つまで叶えてあげる」と言われ、結婚以来、不幸にしか慣れてない老妻はあまり幸せの到来にすっかりのぼせ上がって、どこから考えはじめていいのか見当もつかず、神様は「どうした、何も望みはないのか? いやはや欲のない人じゃて」と意地悪くせきたて、動顛の弾みで、いつも我が家の貧しい晩飯のたびに思っていたことが脳裏にひらめき、つい「お隣さんのように、晩のおかずにソーセージが欲しいなあ」とつまらぬことを呟いてしまった。神様は望みのあまりのちっぽけさに驚いたが、相手が若い女なら親切にアドヴァイスもしたが、相手が老婆ゆえさっさとすまして帰ろうと思い、「合点、たやすいこと」と早速、ソーセージを一本、テーブルの上に出してくれ、「祝福された夫婦よ。一番目の願いは聞き届けたぞ」と、厳かに、しかし、どこか恩着せがましくおっしゃった。そばにいた亭主は、以前から妻を馬鹿だと思っていたが、これほど馬鹿なのか大きに驚き、また自分が考えていた三つの願いが先を越され、邪魔されたことに怒りが爆発した。夫の三つの願いとは、「金」と「女」と「長寿」で、三つ目の「長寿」はやめて「妻即死」にしようかなとも迷い、また「女を頼む」というところが神様の手前、言い出しにくく、なんと切り出そうかと思案に耽っていた矢先に、女房に貴重な願いの権利を勝手に使われてしまい、はなはだ逆上した。「一体何ですか、ソーセージなんか頼んじゃったりして。お前が浅はかなのは知っていたけれど、こんな馬鹿とは知らなかった。いやだ、いやだ、馬鹿な女と一緒になるもんじゃありませんね。せっかくお前と私が末永く幸せになるために、あれを頼むのがいいのか、これを頼むのがいいのかと思案をしていたのに」とあくまで内実を隠して善人めかしたことを平然と言い、「私の苦心も知らず、ソーセージ1本願うなんて。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。こんな馬鹿とわかってりゃ一緒になるんじゃなかった。結婚前にお前の母親に会ったら間が抜けた顔をしていたから、その娘も馬鹿なのかな、と思っていたらその通りだった」とくどくどと文句を言い、妻も最初は失敗したと思ってしょげていたが、母親まで引出されて罵られて、頭に血が上り、「なによ、生活をあたしに頼りきって、おかずのソーセージさえ買えないあなたがいけないないんじゃないの。着るものだって結婚してからセーター一枚買ってくれない。この甲斐性なし、無能力者、インポテンツ、カス」とののしり、夫は「甲斐性なし」などの罵言は常日頃妻から言われているのでなんとも感じなかったが、「カス」が引っかかった。子供の頃から親や先生に「カス」と言われ続け、この単語には妙に敏感となっており、更に逆上し、「なにーっ。お前が頼んだソーセージのおかげで、金か女か長生きか、どれかひとつは諦めなきゃいけなくなったじゃないか」と思わず本心をもらしてしまったが気にもとめず、「こんなソーセージはお前の団子っ鼻にくっついてしまえばいいんだ」と怒鳴り、それを聞いて神様、変な願いだな、案外シュールな男じゃないか、とは思ったけれど、願われたから仕方ないので、「それでは実現します」と謹厳におっしゃって、ソーセージは女房の鼻へぶら下がった。亭主は、いい気味だと思って薄笑いを浮かべて見ていたが、妻は鼻先でぶらぶらしてるソーセージを取ろうと力いっぱい引っ張っても取れない。鏡で見てみると、赤い鼻に赤いソーセージが連結していて我が顔ながら気味が悪くなり、「いやーっ、どうしてくれるのよ。こんなんじゃ恥ずかしくて人前に出られないわ。あなたのせいよ、あなたのせいよ」と泣き喚き出し、亭主はさすがにやりすぎたか、と反省し、慰めようとして、「お前は無学ゆえ、知らないだろうが、深海にはチョウチンアンコウという魚がいて、鼻先になにかソーセージのようなものをぶら下げて、えさと勘違いをして寄ってくる魚をぱくっと食べてしまうそうだ。これは災難ではない、チャンスと思うと良い。逆転の発想が大事です。お前もチョウチンアンコウの戦術を使って...」、「使ってどうするのよ? え? 腹を減らして近寄ってくる子供たちを食べちゃえとでも言うの? あんまり馬鹿にしないでよ。そんならいい。明日から私はスーパーのパートも中華食堂の洗い物にも行きませんからね。恥ずかしくって、誰が行けますか? そうしたらもうお金ははいってこないから、あなたなんかもう食べ物はありませんからね」、泣きながら妻は開き直る。無能力者で、妻にたかって生きてきた亭主としては、妻が働きに行かないことは大変困る。自分が飢え死をしてしまう。この際、仕方がない、チキショウ、天道是か非か、断腸の思いだ、などといろいろなことを口走りながら、「神様、妻の鼻先のソーセージが消えますように」と願うと、神様、「分かった。消します。しかし、ソーセージを出して、鼻につけて、そして消せ、とは、欲のない人たちだな。幸いあれ、天国は汝らのためにある」とかいい加減に感想を述べ、ソーセージを消して自らも姿も消した。
ということからも分かるように、願いも三つが通り相場である。

オーストラリアでの話だが、願いは一つだけという場合もある。
ふたりの男がボートに乗っているうち、沖に流され、何日もたち、水一滴も飲めず喉が渇いてしょうがない。もう死んでしまうのかと最後の祈りを唱えていると神様が現れ、「願いをひとつだけ聞いてやるぞ」という。ひとりの男が喜んで、「それではこの海の水を、つめたーい生ビールに変えてください」と願うと、ボートの周りは水平線まで泡立った香りの高い生ビールに変わった。「神様、ありがとう。助かったぞ」と男が叫ぶと、もうひとりの男がたしなめた、「おいおい、どうするんだよ、これからは小便をボートの中にしなくてはならないぞ」。
年長の諸君は、ちあきなおみに「四つのお願い」という、みっつ以上の願いの歌があったはず、と反論があるかもしれない。私もその歌なら知っている。嫌いではないが淫靡な歌だ。さて願いの数だが、「一つ 優しくキスして、 二つ こっそり教えて、三つ あなたの好きなこと、四つ そのまま私にしてね」であるが、三つ目は平叙文であって、祈願文になってない事がわかる。この歌の願いの正味は三つである。

質問にしろ、願いにしろ三つが最大限であることは古今世界共通の通念といっていい。しかるに、無限の質問・願いを許しているところがある。みどりの窓口である。
4つか5つの窓口があるのだが、どこの窓口も長っ話で順番が進まない。話というか質問である。「京都発の最終は何時ですか?」「東京行きはないのですか?」「名古屋行きだと、東京に行きませんよね?」「東京行きは名古屋に止まるのですか?」「名古屋から東京にはどうやっていくのですか?」「この席から富士山が見えますか?」「見えないときは席を替わっていいのですか?」「だけどその日、晴れますかね?」「車内販売はありますか?」「駅弁を買っている時間はありますか?」「名古屋駅の駅弁と米原駅の駅弁とどっちがうまいですか?」「自由席でも座れますか?」「自由席がいっぱいの時は指定席に変わっていいのですか?」「往復で買うと安くなりますか?」「チケット屋で買ったほうが安あがりですか?」「マイルは貯まりますか?」「女性のとなりがいいんすけど?」「今の時期、京都と奈良とどっちがいいですか?」「北陸新幹線で金沢に行くのと北海道新幹線で函館に行くのと迷っているのですが?」(行き先ぐらい自分で決めて欲しい)
「函館経由で広島に行きたいんだけど、1日で行けますか?」、スマホも出てくる、「(係員に)あっ、待ってて。ヨッシーに確認するから。(電話をする)ヨッシー? アタシ。いま駅なんだけど、秋田って長野新幹線だよね?え? 上越新幹線? ウソー、長野新幹線だと思ってたー。秋田って上越新幹線なんだー。いやだー、どうしよう?......でも、電話いったん切るね。後ろで待ってるジジーがさ、こわい顔をしてるから(私のこと)」、掛け合いもある、《若い男》「帰りの切符は7時14分発で2枚」《若い女》「えー、そんな早く帰るの。最終にしようよ。せっかくだから京都のおいしいもの食べたい」《若い男》「おれ、次の日、早出だからさ、早く寝たいしさ」《若い女》「えーっ、たまに旅行行くんだから、楽しまなきゃ。(係員に)最終に替えてください」《若い男》「ダメだよーっ。(係員に)7時14分発でいいですからね」《若い女》「最終っ」....。
 若者も質問・願い事のおおい人は沢山いるが、人の属性で言うと70代老夫婦、それに60代婦人3人組、4人組などが、最も多く、果てしなく質問を続ける。彼らは質問の数が多いばかりでなく、ひとつの質問に時間もたっぷりとかける。母音部分を長く発声するので文全体を唱えるのも時間がかかり、文節間も十分に間を空け発声し、間というより突然の、不可解な沈黙ともなり、他に「つかえ」、「どもり」、「繰り返し」、「つぶやき」、「咳」もしくは「咳払い」「痰のからみ」も多用するので、質問は大蔵経のように長くなり、マクベスの魔女であれば処刑も辞さないであろうが、相手が天使のようなJRの係員だから、いつまでも終わらない。
このような無制限の質問特権が使用される頻度は、駅でいうと上野駅のみどりの窓口が断然多く、逆に東京駅日本橋口みどりの窓口では、せっかちなビジネスマンの利用が多いせいかせっかくの無制限質問特権が十分に活用されているとは言えない。
 私は上野駅みどりの窓口で、宇都宮行きの新幹線のチケットを買うのに34分かかったことがあった。「上野から宇都宮まで120kmを30分でいけるのに、上野駅の構内・みどりの窓口で20m進むのにそれ以上かかるのは疑問に思いませんか? せっかく技術の粋を尽くして高速鉄道を作っているのに、みどりの窓口で相殺しているように思われます」と天使のような係員(女)に話しかけたら、「お年寄りを大事にするのは当たり前のことです」と、私に対しては鬼のような面貌で返答があった。「例えば、コンシェルジェを作って相談や質問はそこで受付けるとかしてはいかがですか? でないと時間を短縮して他人に迷惑をかけないように、前もって調べてきた人間に対して不公平だから」と建設的な提案をしたが、「お年寄りになれば、若い人のようにはいかないのですから、ご理解をください」とのこと。時間の短縮では公平性は担保されそうでもないので、こちらもたくさん質問をして公平性を保とうとしたが、天使に尋ねることは何も思いつかなかった。