2008.7.12

暑中お見舞い申し上げます。

有川雄二郎

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

とは言うものの、そんなことを軽々しく言っていいのかという疑問が湧いてきます。
そもそも「暑中お見舞いをする」という意味するところは、「暑中」という悪いやつが皆さまの心と体をさいなめ、とんでもないことです、心配であります、というような意味だと思います。しかし、そんなことを私が言っていいのかという、根本的な疑義です。
まず、一つ目の疑問は資格の問題です。わたしども、不肖の身でありながら、世間の皆さまの御なさけで、何とか日々のたつきを得ることが出来ているのですから、本当は「暑い暑い」とか感想を言うことがだいそれていて、お天道様とか気候とかを批判がましくいう資格はないのです。つらつら考えてみるに、私より悪い人間はまずいない(私と同程度はいる、過去に数人出会った。それから悪人・私としても弁明もあり、私は「悪い」というよりも、私の、物事を複雑に考える性質が、はたからは悪く見えるのではないか、という点であるけれど、「善良とはシンプルなことなり」と言われると、うなだれるばかりで返す言葉はない)。思うに、そんな人間は気候のなすがままになって、ごろごろしていればいいのです。気温や湿度に逆らうなんてとんでもないことです。暑い暑いと文句を言ったり、ましてや他人様に暑さをお見舞いする資格はないのです。
二番目に、私が無理に見舞っても、みなさまに涼感を得られないのではないかという疑問です。告白するとり、私は、幼いときから爽やかな男を目指して生きてきましたが、なかなかうまくいかず、ついに六十一となるまで、心のいずこにも涼しげなところは生まれず、ただただ暑苦しく生きてきました。たとえば、初対面の相手に、男女を問わず、しつこく、夫婦関係・会社での評価・貯金額・既往症・年収・将来の人生に希望はあるのか・妻以外の異性関係の有無、などを無理に聞きだし、プライベートを想像し、しかし聞き終わってみると、大概な場合、自分よりうまくいっているので気に入らず、面白くもなく、それまで瞑目していた目をひんむいて、「拝金主義の生き方だな」、「絵に画いたような小市民」、「出世がむなしいものとまだ分からぬか」、「金は正しく使ってこそ意味がある。貯金しても意味なし」、「子供、子供と情けない。『子供より親が大事』と、喝破した太宰治の気持ちが分からぬか」など、いちいち他人の生き方に難癖をつけ、たとえばこのように生きられないのか、とわが同志のようにガンジー、モーツアルト、土方歳三ら例に、時に釈迦、キリストまで持ち出し、聞きかじりに出まかせを交えて正しい生き方を教示し、それに比べ目先の欲にまみれた己の生き方に恥を知れ、とながながと説教して終わらず、まれに「それでは有川さんの生き方はどんなです?」と反論され、虚をつかれて思わず本音が出て、「ま、幸せなんて望まぬが、人並みでいたい」、「せめて七十までに千万たまれば、厚生年金とあわせてなんとか」、「愛は、やはり、キャッシュで表現すべきだよ。つくづくそう思う」と次第に愚痴が混じり、ついに「実は死ぬまでにもう1回だけやりたいことがある、恥ずかしくていえない事だが」と支離滅裂なことを口走り、相手は唖然とし、我にもどり、自分の暑苦しさにあきれ果て、こんなことでは皆さまに私がお見舞いしても、欲と情念と加齢臭が入り混じり、変な匂いがあって、ねとーっとした淀んだ空気が送られてばかりで、かえって暑苦しく、それでは申し訳がないのです。
のみならず、暑中見舞いなどはお義理だから、やめてしまえばいいのではないかと言う考えも世間にあり、実は私も、七、八年前に、年賀状を出すのはもちろん、返事もやめたらどうなるか、という実験をしてみましたが、思ったより速いスピードで頂く年賀状の枚数は減り、五年後には、もうろくなされた小学校の恩師からと、洋服の青山からの印刷した年賀状のたった2枚しか来なくなった。世間の大多数の人は年賀状なんてたくさん書いているから、いちいち返事が来たかどうかなどチェックしていないのではと思っていたが、案外、けちくさく、返事が来ないと翌年から出さないということが分かり、世間の冷たさを感じ入った次第でした。それにしても、元日に年賀状が2枚しかないのは、世間から嫌われ、無視をされたようで、胸にこたえ、テレビの馬鹿正月番組を見てもうつうつとして楽しまず、翌年から年賀状を再開しましたが、一度瓦解したものは戻らず、今も二、三十枚しか来ない、小学三年生なみの枚数だと思います。
ついでにお中元について一言申しますと、夏のお中元というと、缶ジュース、そうめん、それに最近見かけませんがカルピスなどに相場は決まっていますが、大体、お中元のそうめん・乾麺の類なんて皆さんの家に溜まりまくって、10年分ぐらいあるんじゃあないですか? 私の家にも10箱くらいあって、そうめん屋に聞いたらば、乾麺は5年や10年は軽くもつ、50年くらいは平気でしょう、楽に、ということでしたので、私は来るべき飢餓の時代まで備蓄しておきます。皆様もそうしてください。
夏らしく暑苦しい話題にいたしました。