2009.4.15

妙齢の女性

有川雄二郎

 

 漱石の『坊ちゃん』の主人公に、「自分は若い女も嫌いではないが、年をとった婆さんを見ると懐かしくなる」、と言う独白がある。
 私も同感で、中高年の女性には仲がいい人が多い。仕事を通じて、60歳を優に超えた女性、と付き合うことも多い。

 


 
 彼女たちは、一般に「ババア」と言われる年代で、私も蔭では「よしバア」とか「かずバア」とか愛称で呼ぶのだが、なぜかすぐ仲良くなる。今更、「友達」と言うのは憚りがある気がするのだが、なんとも会うたび、話すたびに、うれしくなるような感情が湧き、また仕事のたびに信頼関係が深まっていく場合が多い。

 

 数人はいる、そのような「年上の女」の敬愛すべき共通点は、男らしい、と言う一点にある。
 中高年女性(ババア)は出したり引っ込めたりしない。よく、だめな中年男がするように、相手のために力を貸すようなことを言って見たり、それが惜しくなってやめてみたり、そのような女々しいまねは、しないる。男や、若い女や、子供は裏切る。ババアは裏切らない。 

 

 また、ババアは、ぐずぐずしない。決意したら、すぐ行動をする。だめな男のように、優柔不断でない。一度決めたことを、「いやちょっと、待っててね、今。いろいろ調整してるからさ」などと時を稼ぎ、結局、自分も相手も忘れていくというような、ふがいのない、女子供のようなだらしのないことはしない。

 

 さらに、ババアは恩を売ったり、見返りを求めたりしない。これも女の腐ったような男にありがちな、「きみのためには苦労をしたぜ」、「まあ、これは貸しだな」といやな、まとわりつくような目はしないのである。

 

 最後に、男らしいババアではあるが、実にセンシティブである。相手が傷ついているのでないか、負担は感じていないのか、自分が必要以上に威張っている印象を与えていないか、と言うようなことに、心を砕く。

 

 考えるに、男も女も肉体的には20歳代が最盛期なのだろうが、最盛期が過ぎても、男は40,50と年とともに課長、部長と言うようなミニ権力、豆権力を手に入れて、社会的には、むしろ、地位が上昇していく。周りにいばりちらし、自らも自分が偉大になっていくと勘違いし、いつまでたっても我欲がなくならない。

 

 女性は違う。
 22歳をピークに、加齢により次第に無視されていく。若い頃なら、つまらぬこと言っても、悪いことをしても、周りの男は喜んでくれた。私も、昔、21歳の女性が私のカード使って勝手に買い物をされたことがあったが、「いいんだよ、気にしないで。いいから、いいから」と実に寛大であった。「あたし、うれしい、い。じゃあ、お友達とデズニーランドにいって、いい」「いいとも、行っておいで」。
 40過ぎの女性が同じことをしたら、私は張り倒すと思う。

 

 実に女というものは年とともに、周囲から厳しくあたられていくのだ。無視されていく。家族であるはずの、夫もこどもですら遠ざかっていく。女と一緒にいるのを、嫌がるようになる。
 だから、40台になると、世間一般へのルサンチマンから、相手かまわず、目的もなく、ただただ、意地悪になる女性が多い。意地悪だけが、唯一の自己表現という女性も多い。これは私は、大いに同情する。同情はするが、なるべく接点は持たないようにしている。
 しかし、一部の女性は、この後大きな転換期を迎える。
 誰も相手にしてくれないから、個としての自己を、また人間の本質を、いやおうなく見つめて暮らすことになる。やがて、また、見栄や虚栄のむなしさに思いが至る。そして、つかの間であっても、人の出会いを、共感の貴重さを知り、大事にしていく。

 

 心の花が開く、と言うのでしょうか、それがババア期の女性です。

 

 老いたとは言え、割り切った女は、強い、清い、すがすがしい。早咲きで60、スタンダードは70、おくてで80。その時期が、女の妙齢期なのだ。

 

 そこへ行くと男はダメである。いくつになっても、こずるく、小器用に、ちっぽけな我欲にとらわれて生き、そのまま死んでいくようだ。救われない。男の妙齢期は、位牌になってからだ。