2008.12.10

有川雄二郎

 

皆さまはお幸せにお過ごしでしょうか? 
僕、固より鬱として生を楽しまず、或る人言いて曰く「汝、愚なるべし、憐れむべし。『友あり、遠方より来る、また楽しからずや』、と教えにあるを知らざるや。また西洋に『友は悲しみを半減し、喜びを倍増する』が諺もあり、汝、すべからず友を作るべし。」と教わり、友を求めんとするも、敵は大勢いても友はさらになく、今更、猫なで声を出し、生身の人間ににじり寄り友にするのは気が重く、大体、日々これクソ面白くもない原因は人間関係にあるのだから人と交わってもいたずらに紛糾を重ねるだけ。さらば風雅に西行芭蕉を範とし、自然・風月を友にする、というのもなかなか億劫千万。例えば海と月を友とし、あした浜辺をさすらわんとするに、今ここの、生暖かく、居心地のよい寝床から起き上がり、漣の寄せる海浜に至るまでの路程は如何ほどかと考えるだに恐ろしく、または孤独老人の常として動物を友とするは如何、と思いをめぐらせ、犬猫などは嫌いではないが餌を作るのが面倒、床に漏らした糞尿の始末はさらに苦痛で、息を止め顔を背けて新聞紙で拭うのだが直視していないから指先を突っ込んだりして憤慨し、「この馬鹿いぬが」と怒鳴りまわし、所詮畜生の分際、人の友にするに値せずと悟り、相変わらず友はなく、ふと若い頃「涙くんサヨナラ」という歌がはやったのを思い出し、当時軟弱の歌と軽蔑していたが今つらつら吟味するに詞章に余韻あり、就中、一節に「涙くん、君は僕のともだちだ、この世は悲しいことばかり」とあり、そうか、自分に湧いてくる情念を友とするのが一番たやすく、折り合いもいいはずと膝を打ち、涙は女々しいのでやめ、毒をもって毒を制す見地から、我が身に付きまとう「不安」と「苛立ち」を友とすることに決めました。この友は勝手にひょこひょこと顔を出す気の置けない奴ですが、欠点がありそれは、こいつがいると喜びは半減され、悲しみは倍増されるという点。それから案外しつこい奴で、なかなか去らない、いつまでも居続けていて、寝るまでそばにいてうるさく付きまとうのが困り者ではある。とはいえ私の唯一の友、大事にしたい。