2007.12.16

加齢臭

SAP 有川雄二郎

 

 このブログを、他のブログで「加齢臭関係のブログ」と紹介されていた。しかし加齢臭については、以前に、「能ある鷹はつめをかくし、能ある夫は携帯履歴をかくし、能ある中年男は加齢臭をかくす」との格言を引用したぐらいで、詳しく論じたことはない。しかし、そこまで言われるのなら、本意ではないが、本日は加齢臭についての考察を深めてみたいと思う。
 加齢臭は、年をとることによって生じる現象である。そして、食欲をそそるカレーの匂いと異なり、加齢臭は食欲をそそらないらしい。つまり、嫌われる臭いである。これが困った点の第一である。
 また、年をとると、白髪になったり、はげてきたり、しわがよったり、体形が変化したり、しみが増えたり(茶色いものだけではない、恐怖の老人白斑もある)、いろいろからだが変化するのだが、本人が目で見て分かるハゲ等と異なり、加齢臭には自覚がない。本人は、どんな臭いなのか分からない。そこが厄介な点の第二である。
 この間、50歳から60歳の男性、数人と酒を飲んでいて、一人がしみじみと「最近、ぼくは臭い臭いといわれる。こないだも娘が聞こえよがしに女房に、『お父さんのものと一緒に洗濯しないで、臭いから』と言われ、女房も、『そう、お母さんもあの臭い、たまらないのよ』と言われた。そんなに俺は臭いのかなー」とため息をつき、それを聞いたもう一人は、「俺も言われているが、果たして俺たちは本当に臭いのだろうか」と疑問を呈した。確かに、私たちは臭いと、他人から言われているだけで、どんなにおいなのか、まったく知らない。ここには、加齢臭の強烈な発生源がそろっているのだから、相当臭いはずだぞ、とみんなで、くんくん臭いを嗅いだのであるが、匂うは、テーブルの上の鳥のから揚げの香ばしいにおいだけ。ほかに異臭はない。
 沈黙のあと、「そもそも加齢臭なんてないのではないだろうか?」、一人がラジカルな意見を言った。すると、たちまち「そうだ、家庭でも職場でも中年男の加齢臭と言われてますが、これは共同幻想であると思う」、「そうだ、悪質なレッテルはりだ」、「我々は無臭だ」、[無味かもしれないし」、「論より証拠、現になんの匂いもない」と、意気が上がり、加齢臭とは共同幻想ときめて、後は冤罪が晴れた被告のように、とことん明るく、笑いの絶えない宴会となった。
 しかしながら、酒からさめて、つらつら考えるに、加齢臭同士が互いににおわない、というのは、餃子を食ったもの同士の接吻というのだろうか、また尾篭なたとえですが、排便中の放屁、のようなもので、嗅覚が麻痺をして分からなくなってしまっているのではないだろうか、という疑問が湧いてくる。
 においの有無を判定してもらうのは、仲間内ではいけない。甘えた話だ。そこで、会社の女子社員に、「僕ってにおう?」と聞いてみた。彼女は「いいえ、全然」と保障をしてくれた。しかし、考え直してみると、彼女は、どんなときでも私の1m以内に寄ってこようとしない。
 たとえ意に沿わないものであっても、真実を見つめる勇気を私は持っているので、ある人に私の体に密着して匂いを嗅いでもらうことにした。加齢臭は実際、あるのか、あるとしたらどんな種類の匂いがするのか、を報告してもらうのだ。遠くからではなく、私の体に接して、鼻を擦り付けて嗅いでもらった。いやな仕事だとは思うが、その人は断ることができない義理があるのだ。
 肩、わきの下など4箇所をそれぞれ10秒間くらい、嗅いでもらったのだが、それぞれ香りが異なり、1箇所は「枯れ草の匂いがする」、もう1箇所は「子犬のにおいがする」、さらにもう1箇所は「ヨーグルトのにおいがする」、あとは「新幹線のトイレのにおい」というものであった。
 最後の部位を別にすれば、なんだ、いいにおいなんじゃないか、というものだった。そこで、嗅ぎ手に念を押すと、そんなことはない、という。「いや、ただの枯れ草ではない、枯れ草が腐ったにおい」であり、「子犬が腐ったにおい」、「ヨーグルトが腐ったにおい」であるという。「新幹線のトイレ」は、腐ったということではなく、フレッシュなトイレのにおいだ、という。
 無臭ではなくがっかりした。しかし、思い直せば、「有機臭」とでもいうのでしょうか、有機栽培のように地球にやさしいにおい、であると思う。枯れ草が腐ると堆肥になる。ヨーグルトの腐ったのは、一度食べたことがあるが、ニガすっぱい、漢方薬のような味である。子犬の腐ったのは、まだ接したことがないから分からないが、いずれにしろ、生きとし生けるもののにおいである事には間違いない。
 「加齢臭」という言葉は、「痴呆症」とか「狂牛病」というように、差別、侮蔑のにおいがする。私は、加齢臭という言葉をやめ、「オーガニック・フレグランス」といってもらいたいと、強く思っている。