2018.1.26

スマホ社員

 

有川雄二郎

 

ずいぶん長いこと、ブログを更新しなかったので、皆さんは有川は死んでしまったのではないかのではないか思ってるのでしょう。実は死んでないのです。やがて死にますが、現在は生きていて深い思索にふけっているのです。生きている証拠に、近事を報告します。

 

私は、ついに、スマホを持つことになりました。今月からです。

ガラケイには長く親しんできて、また、何となくスマホの浮薄な感じが嫌で、「世の中どう変わろうとも、私は生涯、スマホなど持たない。お前(ガラケイの事)を捨てない」と誓い、それを愛用のガラケイにも言い、公然と人にも言ってきました。しかし、ガラケイを、あっさりと捨て、スマホに変えました。

私にはそういう一面があるのです。「捨てない」と誓ったのは、前の妻にも誓いましたし今の妻にも誓いました。他の人にも誓いましたが、そういう誓いは守ってみたり、守らなかったりの人生でした。

 

変えた理由は、私の一面と、社員が「社長もスマホに変えてほしい」とうるさかったからです。変えろ、という理由は、私が出張や外出していると、夕刻になると、必ず私から電話がかかり、「今日のメール、何が届いてる?」と聞いてくるのが、うっとうしい、というのです。電話に出た社員は、私の机まで移動し、パソコンを立ち上げ、受信メールを開いて、それをいちいち読み上げさせられるのです。パソコンへのメールはガラケイでは見れないので、外に方法がないからですが、社員は大変に面倒だというのです。その上、本日メールを社員が読み上げるさいに、広告メールまで読み上げると「馬鹿、そんなの読む必要がない」と怒られ(当たり前、そんなの言われなくてもわかるだろう! と私は言いたい)、息子からの「親父とは絶縁するぜ」などのメールを読むと「馬鹿、そんなの開封するな」とこれも怒られ(当然、他人のプライバシーに入り込むんじゃない!、と私は言いたい)、折角、読んでやっているのに、態度が悪いというのが社員の言い分です。

さらに、読んだメールの返事まで書かされる場合が多い。それは電話での口述筆記となる。それがまた問題で。そもそも私の音声が不明瞭で聞き取りにくく、繰り返して確認しなければならない。おまけに、もたもたしてると私からの、「ちゃんと聞いてろよ、ばか」、とか罵声が飛ぶ(当然。多少、聞き取れなくても、推量しろよ!)。

これに加えて、文面の変更が多い。「あっ、待って、待って。そういう言い回しはきついな。『大変、ご親切なお申し出であり、ありがたく存じますが、あいにく準備時間がございませんので、今回は見送りにさせてください』、に変えてくれる?」、「あっ待って、元へ。『今回は見送り』だと、次回に希望を持たせてしまう。『現状では』に変えて。言葉の機微は大事だからな」、と直しが延々と続き、絶望感にさいなまれる(当たり前、ここで君に教育しているのが分からないのか!)。さらにさらに、やっと直し終わった文面を、最終チェックが必要ですから、念のためということで、社員は全文通読させられたあと、しばらく無言の時間が過ぎた後、「やっぱり、断るのはよして、『ありがとうございます。全面的にお引き受けしますので、ご連絡お待ちします』にしといてよ」などと、意表を突く文面大逆転があって、今までのすべてが無駄になるのです(人生はそんなものだ! と私は言いたい)。

また、私からの電話には、「カレンダー記入」という仕事もある。何日何時・誰それ氏と面会、などを私のパソコンのカレンダーに入れておいてくれ(これは夕刻に限らない。随時である)、という要求が私からあって、これらの作業もガラケイではできないのです。「前の時間帯は何が入っている?」 「後の時間帯はどう?」 など、私の質問に答えたうえで、社員が私のパソコンのカレンダーに記入するというの、なんともたやすい仕事です。

これらの仕事に対して、「いそがしいときに」「これでは、パソコンが伝言板と変わらないじゃないか」「我々をチョーク代わりに使っている」「こんなのが社長だから、情報化で中国に負けてしまうのだ」「パソコンに申し訳がない」「なくなったスティーブン・ジョブズご覧になったら、お怒りになると思う」などと社員から不満が吹き出て、まあ、これらは一理あるように見えて、結局は社員のわがままに過ぎないのですが、温厚な私は譲って、スマホを購入したことにしたのです。ガラケイとの別れはつらいものでした。

 

しかし、問題はそれからだった。私は、スマホとはなじめないのです。

ガラケイは、いわば私の肉体の一部になっていた。しかしスマホは違和感だらけ、ガラケイが手の指だとしたら、スマホはおできです。

第一にスマホが嫌なことは、反応が気まぐれなのです。タップ(しゃらくさい言い方ですね)して、きちんとページが開くときもあるのですが、2回に1回は反応しない。一瞬、ピクッとするのですが、それっきり。あるいは、要求はしていないことをやる、その画面を勝手に終了してしまったり、予期せぬメッセージが出てきたりする。私の指示に従わないのだ。

二番目に、頼みもしないのにアプリが勝手に増えてしまう。2,3日ほったらかしにすると洗濯機の裏のカビのように、スマホの画面が色とりどりのアプリでうずまってしまう。こんなことをしてアプリは許されるのだろうか、これが人間なら不法住居侵入なのだ。しかも、勝手に増えて置いていて、「容量がオーバーしてますから、金を払って、追加の容量を買ってください」、居直り強盗とはこのことです。

三番目に、電話やニュースなどを見ていると何の予告もなく、「警告」とか「今がチャンス!」などの広告画面が出てきて、私を邪魔するのだ。どういう権利があって、他人を邪魔できるのか。

四番目に、作りが、ちまちまして、せせこましい。とても立派な男の付き合う相手とは思えないことです。文字を打ち込む文字盤は大変小さい。4ミリ四方ぐらいしかない。私の指はピアニストの細い指ではない、太く、水気が多くびっちゃりとしていて、隣の文字盤にはみだしてしまう。おまけに最近、震えてきてるから、打つ⇒隣の文字を押してしまう⇒打ち直す、の繰り返しで、10文字打つのに10分はかかる。(貴ノ岩は、どうやってメールに返信していたのだろうか?)

さらに、「と」を打ち出すためには「た」を5回押さなければならない。3回か4回打っていると、何回打ったか自分では忘れてしまうのだ。もう、このくらいで「と」に到達しているかな、と指を止めると、まだ、1回足りない。まだ、「と」まで入ってないよね、と思っていると、もう、打ちすぎていて二巡目の「た」に入っている。「まだ」はもうなり、「もう」はまだなり。これは株屋の格言だが、スマホにも使えるとは思わなかった。

 

一言でいえば、スマホは勝手なのだ。私の言うことを聞かないのだ。自儘なのだ。ここで要約してスマホの特徴を述べると、①人の言うことを聞かない、②頼みもしないことをこざかしく勝手に始める、③気配りがない、の3点に尽きる、これらがスマホへの違和感の源である。

しかし、この違和感に、既視感(ディジャヴー)がある。この不愉快な感じは、たしかに、ずっと身近で味わっている感じがあるのだ。

人の言うこと聞かない、人の許しを得ないで勝手なことをやる、気配りがない、せせこましい。

このテイストは何だ。考え詰めると行き当たる、社員たちなのだ。スマホの質感は、まさしく彼らの質感なのだ。なーんだ、そうなのか、だから合わないんだ。よく理解ができた。しかし、思索を巡らすと、この感じは妻の感じのようでもある、いうことを素直に聞かず、頑固に抵抗し、しつこく反論してくるところは、妻そのものと言える。また、私の子供にもよく似てる。太郎も次郎も三郎も、父に対する気配りのなさは、まさにスマホのそのものである。

ここで百尺の竿頭にて大悟するに、人間はスマホによく似てる、と断じてよいのだ。神は自らの姿に似せて人間をお創りになった、人間は自らの姿に似せてスマホをつくったのだ。

そこへ行くとガラケイは素直で、ボタンを押せば忠実に命令を実行する。こざかしいことは一切しないで、何も命じなければ、おとなしく待っているのだ。ガラケイは犬だ。私は人間嫌いであるから、ガラケイがなじむのだ。

結局、人生はスマホ漬けなのだ。

スマホ社会で、スマホ人間と、スマホみたいな仕事をして、死んでいく。

合掌。

 

しかし、スマホに関して、これだけは止めてもらいたいことが、いくつかある。

スマホにも文化が必要である、後の世の人に悪習は残したくないものだ。

 

1.会議中、対談中にスマホをいじるな。

大方は、いじってはないようだけど、あるのは話題に出てきたテーマを検索する場合。あれもよくない、会議のリズムを崩す。「これは、こういうことなんですね」と得々と説明するが、大した内容ではない。その間、会議がストップして、みんながスマホを打つ手の手元を見てる。会議の時間が延びる。再開後の議論のレベルが低くなる。

会議で大事なことは、スマホには出ていない。だから、生きた人間が集まって、議論をするのだ。それに知識がないのは、スマホをいじっている君だけであって、他の人たちは知っている。

ドコモの社員に「貴社の会議で、スマホをいじり出すことは認められるのか」と聞いたのだが、「いや、そんなことをする社員はいません」という返事だった。

 

2.電車スマホも禁止。

歩きスマホは危険だが、電車スマホは異様である。電車に乗ると見渡す限り、老いも若きも、乗客はスマホを握りしめ、食いるように見つめている。スマホを知らない人たちが見たら、念力をこめて呪い殺すような邪教の宗教儀式にも見える。

もしご先祖様が、後世の子孫をご覧になったら、黒い板切れを握りしめて、お告げにかしずく子孫の哀れな姿をご覧になって、何事も自分で決められない哀れな者たちと思うだろう。

 

3.「スマホ・デビュー」なる表現も禁止。

私がスマホに変えたら、社員も外部の方も、一様に「スマホ・デビューですね」と言って来た。いやらしい表現である。何か年寄りを冷やかすような、おちょっくっているような、軽薄な優越感があり、美しい言語感覚ではない。ほかに表現を知らないのか、「スマホ・デビュー」をしつこく繰り返されると、顔がこわばる。私は内心で吠える。

 

年寄りを捕まえて、何が、デビューなんだい、スマホ・デビューが聞いてあきれる。

こちとら、デビューはさんざんやってきたんだ。今更スマホごときに、デビューもヘチマもあったもんではない。異性デビューから始まって、サラリーマン・デビュー、失業デビュー、サラ金デビュー、入院デビュー、離婚デビュー(変かな?)、そんなものは、ぜーんぶ済ましてきた年季の入ったお兄いさん、ではなくお爺さんだいっ。

スマホ・デビュー? そんなもんで、一々デビュー騒ぎをしてたまるもんかえ。笑わすんじゃない。それにこれから、こちとら、介護デビュー、認知デビュー、火葬場デビュー、地獄デビュー、7回忌デビュー、なにしろ大事なデビューが待ってるんだい。スマホなんかでデビューさわぎしてる暇はないんだぜ。変なこと言うんじゃねーっ。

老人がスマホを持つと、何かと切れやすくなるという。気を付けたほうがいい。