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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

向暑の砌、みなさまにはますますご清祥のことと存じ、お慶び申し上げます。

小生など、若いころから団子・瓦礫のように「団塊」と言われ、どうせこいつら十把一絡げ、蟻や油虫など昆虫に等しく、個性なき集団のように言われてまいりましたが、還暦を過ぎたあたりから団塊仲間うちでも、俄然、差異を生じ来たり、現在、多くの同世代は自適と言うのでしょうか、老妻と視線も合わせぬままの内外旅行、猫の額ほどの庭いじり、虫や動物園などつまらぬ写真どりなどで日を過ごしおり、彼らはそういうことのどこが面白いのかは分からないけれど、それはともかく、働かずに過ごしており、これは実に羨ましく、一方、わたしは不思議な巡り合わせでそのようなゆとりが生活になく、今なお労働・営業の日々が続き、企業や官公庁のコンペティションなどが戦場で、広告代理店などの二十代の若者に交じり渡り合い、何の負けてならじ、斎藤別当実盛といってもうつけの若造なんどは分からないだろうがともかく斎藤の故事に従い、カラーリンスで白髪を染め、目の覚めるような赤シャツに純白のズボンの原色若づくりのいで立ち、また、武士のたしなみというよりはあとで陰口をたたかれぬように、加齢臭どめにオーデコロンを湯水のごとく身にふりかけ、プレゼンテーションは真剣勝負、心を引き締め、年寄りの常としてくどい言い回しと、人名・地名など固有名詞が咄嗟に出てこない難点があるものの、敵の企画をけなすときは昂揚して鼻息が荒く、愛嬌も見せなくてはと、エンディングはにんまりと愛想笑いをし、顧客の寵を争う毎日、これも実は米塩の資を求めてのこと故であります。
しかしながら老残の丈夫ぶり、帰宅後も、昂揚した心持は収まらず、非常時のこの折、御製に「国思う道に二つはなかりけり、いくさの庭に立つも立たずも」とあり、匹夫と言えども国恩に報ゆるの時、断然節電の鬼と化し、エアコンを消しテレビを消し電灯を消し、関係ないのは知っていますが携帯の電源も切りガス栓閉め、潔斎して異性を寄せ付けず、暗闇に蒸し布団にくるまって一人寝る夜は、怪しく物狂わしく、疲れきって朝となります。こんなことだと、一体世の中の様子を知るゆとりもなく関心もなく過ごしていますが、たまさか鎌首を持ち上げて世を見渡せばもとよりこれ無慙、被災、原発は申すに及ばず、与党六人組やら菅丞相やら政治など様子も見るも哀れで情けなく、これが末法の世か、末世になると公的なセクターがまず崩落していくそうですがその兆候もきざして、なすすべもなく、汗にまみれて六字の称号を念ずるのみの毎日、みなさまはいかがお過ごしでしょうか？

        
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    <title>積善</title>
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    <published>2011-02-10T14:40:49Z</published>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

後生の無事を願って、何かしら善行に励まなくてならないと思う年頃になってきた。今更遅いのかもしれないが、それでも、この年になりもう地獄は嫌だ。もっとも天国や極楽というのはどういうところかイメージもわかず、しかし地獄は何か身近な存在のように感じられ、時折、地獄図絵などをしげしげと眺めて研究を始めているのだが、地獄は閻魔大王と鬼と罪人、３種類しか登場してこないフラットな社会である。閻魔大王は、何もそんな怖い顔をすることないじゃないか、相手は恐れ入っているのだから、と注意をしてあげたくなるのだが、所詮、あのタイプは人の言うことを聞こうとしないのだ。鬼は顔つきが旧妻に似た獰猛奇怪な形相でボディビルコンテストのように筋骨隆々としている。問題は鬼にに対峙する罪人で、地獄三人種の中ではいちばん気のよわそうな顔つきをしている。前世で悪事の限りを尽くしたとは思えぬほど弱々しくまた意気地がない様子。とても鬼一匹にでもかなうすべもないのに、あまつさえ、赤・黄・緑・黒など数匹に取り囲まれ、なぶられ、肢体を千切られ、目玉をくりぬかれ、胴体に金棒をぶち抜かれ、罪人が無力で反抗できないことをいいことに、鬼は散々なことをしているのだ。悪い奴らだ。不思議なことに、罪人はあまり苦しむ様子も見えず、もがいたり暴れたりもしないで、ただ目を細めて無抵抗、鬼のなすがままに、あきらめというより、恍惚、または悟ったような状態の面相を呈し、薄笑いすらしているかにも見え、実に奇妙な構図に見える。しかし、責め抜かれると、人間は恍惚状態になるものなのだ。思い出したがこの図はまぎれもなく20年前、私が旧妻から罵倒折檻を受けていた時の様子で、私はただただ、頭を下げ、時に力ない笑みを浮かべ、ストーブ投げなどの暴力に甘んじ反抗は一切考えず、あの頃、私はまさに地獄図絵の罪人のようだったのだ。さらに比較分析をしてみるに、地獄の鬼は淡々と肉体的暴力をふるっているだけで、金切り声、罵倒、呪い、脅迫などことばの攻撃を罪人にはしていない様子であるが、旧妻は暴力と罵倒が並行し、その点は旧妻より鬼の方がやさしいと言える。また、時局柄でいうと、閻魔仙谷や諸鬼・菅、枝野、福山各氏など民主の鬼になぶられている小沢氏との関係にもこの構図は通ずるものがあり、小沢氏も最近、目が澄んできた。

いずれにせよ地獄は怖い、近頃、気をつけて善行を積むようにしている。ただ、私が小人ゆえに、たまに善を施すと、吹聴し、自慢し、なさざる者をなじり、怒鳴り、その思い上がりの罪には、私がなした微善など吹っ飛んでしまうのだ。例えば、私は月に1，2回、250円くらいの安い弁当を7，8個買い、近所のホームレスの人にあげているのだが、夜なので誰も見ていなく、ホームレスの人もすでに段ボールの中で眠っている様子で、あえて起こすこともないので弁当を段ボールのわきに置いていくのだが、もちろん当人からの感謝の言葉はない。道を歩く人も私の善行に気がつかず、気がついても同類がやり取りしている位に認識で、つまり褒めてくれる人はいない、これが大変不満なのである。仕方がない、翌日会社で社員に褒めてもらおうと思って、仔細を語るのだが、彼らの反応は、「あたし、お金をあげたほうが喜ばれると思う、ねえ、そうだよね」、「250円の弁当なんてあるんですか。なんでそんな安いのを買うんですか？　社長はそれ、食べた事あるんですか？」、「月に1回は少ない。毎日あげなきゃ、だって社長は毎日３回ご飯食べているんでしょ？」、「あたしだって、猫ちゃんに毎日ご飯あげてるも～ん」とかで、話の論点を理解できず、的外れのばかな感想しか言わない。社員は、どこの社員でも同じだろうが、素直に社長の言動に驚き感動するという能力がない。だからいつまでたっても社員なのだ。

そこで、いっそう善行をつむことにしました。近々、ホームページに発表しますが、小社は3月26日に、紀伊・那智大社と長崎・大浦天主堂の2か所で、同時に、無料の文化イベントを開催します。この無料という点が今回の論点の中心となるので、注目をしてくれたまえ。無料ということは、偉いと思う。思わない人もいるかもしれませんが、私は偉いと思う。さらに2か所同時、というのがすごい善行だと思う。
まあ、実を言えば、これは何も善意とか、公共心とか、ボランティアとかそんなことから始まったわけではなく、ま、あてが外れた、とか、計算違い、思い違い、とか、行きがかり上とか、いろんなこと事があって、無料になりました。ひとことでいえば、破れかぶれで、ということになりますが、善行をすると、どうも、損した気分になるのですね。不思議ですね。



        
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    <title>朦朧の新春</title>
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    <published>2010-12-27T15:22:03Z</published>
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    <summary>まどろみて　元日の午後の　寒さかな 年をとると加齢臭が増すだけでなく、忘却力も増...</summary>
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        まどろみて　元日の午後の　寒さかな

年をとると加齢臭が増すだけでなく、忘却力も増し、買い物でも10品買うべきを、一つ二つしか思い出さず、メモに書いても書いたこと自体を忘れ、まれにメモしたことを覚えていても、メモのありかを忘れてしまう。仕方がないうろ覚えの一つ二つを買い、しかしレジでお釣りを忘れ、あろうことか買ったものも忘れて、これじゃ店にただ金を置いてきただけの話。話もそうだ、自慢話、駄ジャレ、小言など、同一人物に対して繰り返し、相手が既に聞いた旨を申し出ないときは5回は繰り返す。現在、私の忘却力は次のステージに達し、今の自分が、そもそも不幸か幸福かが分からない状態。よく考え抜いてみると、そう、不幸なのだ、年末に凶々しいことが起きたんだ。しかし待てよ、そのあとそれを打ち消すようなハッピーなことがあったはずだが、それが何なのか思い出せない。勘違いかな、じゃ、とりあえず不幸なんだな、私は、それではやけ酒にするか。それより、このようにダラダラと文を書いているが、今書いているのは何だろうか、酒の上の失態の謝罪を書いている気もするが、子供への訓戒をのような気もする、あ、そうか、暑中見舞いを書いているのか。
社員は私が忘却爺になったことをいいことに、「社長は了解したじゃないですか」「立て替えた昼飯代、返してください」「今月の給与、貰っていません」と私を嬲るのだが、彼らに良き未来はないだろう。それはさておき、やがて、生きているか死んでいるかも忘れ、これすなわち解脱ということ、めでたきこと限りなし。

        
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    <title>残暑見舞い</title>
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    <published>2010-08-24T11:17:50Z</published>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎
街に出れば炎暑地獄の日々、初老の身に外回り、とぼとぼと歩いていくと、道全体がナチのガス室ならぬ高熱空気室となり、道端の自販機のお茶だけが頼りで、がぶがぶと何杯も飲んでも、摂取した水分はただちに体表から蒸発をしてしまうせいか不思議にお手洗いによらずに済み、奇妙なことよと驚き、すぐに、そんな発見に何か意味があるのかと自らを責め、こんなことしか頭に浮かばぬのも老いのせいかとため息、熱暑というものは兎角、人を自虐的にさせることが分かりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか？
　　しかしながら詮ずる所、男子と生まれ、人生いたるところに地獄あり、家にいれば私信開封・携帯検閲・同衾強要・罵倒絶叫の古強妻の「畜生しつこ地獄」あり、会社にいけば、仕事全忘・生意気不遜の社員の「阿鼻ばか地獄」。取引先を訪れれば、お世辞強要・恩着せ千回・処罰値引きなど客の「無限えばり地獄」、目上のじいさんを表敬すれば「自慢」・「繰り返し」・「説教」の老呆三大地獄のそろい踏み。地下鉄の若い女性客からは「あてつけ席移動地獄」さらに「痴情睨めつけ冤罪地獄」などなどきりがなく地獄を見せつけられ、大体、炎暑地獄を歩いているうちにも、「行き先通りすぎ地獄」、「曲がり角一本間違い地獄」、「犬の糞踏付け地獄」、「アポ時間接近・炎暑駆け足地獄」、「訪問相手氏名並びに役職忘れ地獄」、「用件忘れ地獄」など大地獄の中にまた小地獄があるという、地獄の二重構造となり、二重構造というものは地獄に限らず、保温ジャー、下請け、ナプキン、民主党内権力など、とかく暑苦しくできており、まとわりついてなかなか逃れられないものですが、ここで大悟徹底をしてみれば、地獄は炎暑にあらず、妻にあらず、我と我が身こそが地獄であって、地獄が影のように我を慕って離れない、これはすなわち空即是色、色心不二の理で、吾即地獄・地獄不異吾なり、と炎暑が開く我が一生の総括でありました。これからもしばらくは、別府の温泉・地獄めぐりのように、世間地獄めぐりの残余人生を送る次第であります。


        
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    <title>復讐は我にあり</title>
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    <published>2010-08-09T13:06:11Z</published>
    <updated>2010-08-09T13:06:11Z</updated>
    
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

　薬師寺で、勘三郎さんの「船弁慶」を見ました。ま、主催者だから当然、見るのですが。
以前、能では友枝昭世さん、歌舞伎では厳島神社で尾上菊之助さん「船弁慶」を主催して、こちらも見たのですが、両方とも知盛と義経という、本来、見も知らぬ武将が、不思議な運命の糸に操られて、果てしなく戦うというまるでギリシア古典の運命悲劇を見るような、悲しく、しかし凛々しく、端正な舞でした。もちろん友枝さんの知盛はゆるぎない意志を表して、菊之助さんの知盛は若々しい戦士の華麗な知盛でした。それぞれ感銘しました。
　勘三郎さんの知盛は、違っていました。もっともっと人間の極限に迫る知盛でした。運命の糸に操られてじゃない、自分の意志として、自分の情念から、義経への復讐を誓った知盛でした。頑くなで剛い、狂った感情が、知盛の全身からほとばしっていました。世界が破壊されようが平家を全滅させた義経を殺す、という知盛の執念には、私は思わず涙ぐんでしまいました。復讐の念というのは、人生にとって基本的な、必須の何かであると思いました。
　復讐、恨みを晴らす、敵討ちというようなことは、現在でははやりません。親の仇でもなんでも、国が裁くのです。自分で裁いてはいけないのです。裁判官という専門職とは言え赤の他人が、最近では裁判員という全く無関係の素人たちが裁くのです。しかし、専門家とか素人とかいう前に、問題は彼らは当事者でないということです。当事者でない人たちが、当事者の思いを越えて決めていいのでしょうか？　そういうことができるのは、一体どういう原理によるものでしょうか？
改悛の情が見えるから義経は執行猶予とか、勝手に決めたら、知盛が見たらなんというのでしょうか？　当の義経はどう思うのでしょうか？
船弁慶に限りません、忠臣蔵でも、曽我ものでも、歌舞伎は復讐か心中がメインのテーマです。西洋でも、「ドン・ジョヴァンニ」とか「ペール・ギュント」とか「ハムレット」、「オセロー」とかオペラもドラマも復讐がテーマのものは多いのです。

　それは、復讐が正義という倫理判断だけでなく、復讐は美しいという審美的な判断もあると思われます。エレクトラは復讐に恋い焦がれます。カチカチ山もウサギも仇敵（自分には関係ないのに）タヌキには執拗に、かさねて打撃を与えます。死ぬ時も、ただ死んだり、または皆の幸せを願って死んではいけない。知盛も、ハムレットの父も、お岩も、復讐を誓って死ぬと、魂がこの世から離れないでいる。タヌキもウサギに復讐を誓って死ぬべきだったのだ。ぼんやりとおぼれ死んでいるから、それっきりである。同じ水死でも、知盛と違うところだ。

　死ぬに当たっては、人を恨んで死ななければならないな、そうでないと男らしくない、また美しくないな、とつくづく思いました。それで、「こいつをうらんで死んでやろう」という人間を今のうちから目星をつけているのですが、これがなかなか難しい。社員にはそれぞれに恨みはあるが、死んでまで付き合おうとは思わない。あと、恨みを思い出すのは、階段を上がっていく時、前の女性のミニスカートを私が視線で追った、と言い張る見知らぬリュックばばあ、また、次郎の結婚式のとき私をのけものにした元妻、あるいはやや古い話だはあるが、中学生の頃、無実の私を廊下に立たせた担任の野原先生など。しかし、如何にもい卑小だ。
　もっと大きな恨みに出会うまで、死ぬに死に切れない昨今である。

        
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    <title>平凡な引っ越し</title>
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    <published>2010-07-31T12:51:07Z</published>
    <updated>2010-07-31T12:51:30Z</updated>
    
    <summary>暑中お見舞い申し上げます 身も心も汗にまみれてあてもなく歩き回り、次第に目も座っ...</summary>
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        暑中お見舞い申し上げます
身も心も汗にまみれてあてもなく歩き回り、次第に目も座ってきて、もうどうなってもいいやと、何かしら覚悟のようなものが醸成され、（菅さんも歩きまわるがいい）春の頃の我が身がふやけて見えるところが夏の功徳なのでしょうか。つきましては、私ども、事務所を移転することになりました。

新住所：東京都千代田区三番町28－５-101
電話：03-５226-7830 FAX03-5226-7838従前通り

移るわけを言うと、ビルの大家の息子が来て、「来月から家賃を上げる。安すぎた」と述べ、この息子は若いくせに分別臭く、世間の道を説いたりして日ごろから気に食わないので、「事実として、私は安いことは熟知している。なぜなら、安いところを探しぬいてこのビルを選んだのは私自身であるから。その美点が失われると、汚いという属性のみが残ることになるが如何に?」と問うたが、彼はこの反撃に目を大きく開きあわて、答えようとせず、しかし関係は一層悪くなり、結局、出ていくことになりました。こんな事は人生上よくあることで、平凡な引越しといえましょう。　　　敬具

        
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    <title>Bの問題</title>
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    <published>2010-06-17T12:43:34Z</published>
    <updated>2010-06-24T08:16:18Z</updated>
    
    <summary>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎 　浅野温子さんの、古事記...</summary>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

　浅野温子さんの、古事記の一人がたりを聞いた。いろいろなことが頭を巡って、とても感動した。一つは、浅野さんというと、トレンディドラマ（そういえばトレンドという言葉も聞かれなくなった。もう、トレンドなどどうでもいいのかも知れない）というイメージがあって、可愛いだけなのかなと思っていたけれど、語りに、演技に、圧倒的な迫力があるのだ。肝を潰した。
　それと話自体も、いろいろ考えさせる構成だった。コノハナサクヤ姫という美人の妹と、その姉の岩永姫というブスの姉の物語を古事記からとって、脚色している。妹は、いい男のニニギノミコトに見初められ、嫁入りするのだが、姉はブスであることがたたって、嫁の貰い手がない。気立てはすごくよくて、親からも可愛がられているのだが、男が寄り付かない。父は困って、ニニギにコノハナサクヤ姫のおまけとしてあげたのだ。ところが、ニニギは姉の岩永姫があまりに醜いのを見て、家臣に命じて実家に追い返してしまう。性格はあまりに美しいのだが、容貌があまりに醜い岩永姫は、自分に絶望して放浪の旅に出て行ってしまう。
　父親はあまりにむごいニニギに復讐を誓うのだが、これは別の話。また、妹のコノハナサクヤがニニギと情交をすると、一種の共振現象が起きて、遠くにいる岩永姫にコノハナの快感が通じて岩永もまたエクスタシーを感ずるという超常現象が起こる。不思議な話だが、ありそうな気がする。女だから。しかし、それも別の話。
　また、浅野さんは、コノハナサクヤがニニギに抱かれてエクスシーを感ずる状態の表現を、「暗い海から、波をくぐって幾百匹もの大きな魚が、金のうろこを輝かしながら、次から次へと天に昇っていく。私はその巨大な魚のひれにつかまって、天を目指して舞い上がっていく」、とアクションを交えて表現していた。私は、その時の女性がどんな気持ちなのかわからないのだが、何だか女にはありそうな話である。（男の気持ちなら分かる、「ラムネのふたのビー玉をすぽんと抜いた感じ」。それだけの、あっけない、つまらぬことです）そして、問題は観衆である。浅野ばなしの観衆は８割が女性で、多くが５０歳～６０歳くらいの熟年世代。このエクスタシーのくだりを、食い入るように浅野さんを凝視して、話を聞いているのだ。そして、みな、「うん、うん」と小刻みにうなづいている。８０歳くらいのおばあさんがいて、目をうるませ、唇を震わせ、過ぎた遠い記憶を反芻しているようである。小学生の女の子も、「そうか、そうなるのか、私」と納得をしていた。演者も観客も「エクスタシー」という一点で結ばれて、強い連帯感がまきあがっていた。
　私は、これじゃ、とても女にはかなわないと思った。また、いざという時の、とっておきのパジャマに、鯉か金魚の滝登りの絵柄のものを買っておこうと考えた。

　しかしそれも別の話で、問題はブスについてである。岩永姫のように、どんなに気立てがよくても、頭がよくても、ブスというだけで毛嫌いされてしまうのだ。こんな不条理な話はないのだ。ブスというのは、本人の責任ではない。私の会社にいた女子社員が述懐して、「私の母親から、『ごめんね、そんな顔に産んでしまって』と謝られたことがある」と言っていたが、娘が母から詫びられるというのも悲しい話だ。まったく本人に責めはないのに、男たちから誘いも受けず、異性と情けもかわすこともまれか絶無で、二十歳、二十三歳といった普通ならきらきらと花咲くころも、なすびの無駄花か、または便所の裏に咲くどくだみの花という感。あげくに、「ブスは笑うな」、「ブスに意見を聞いていない」など冷酷なこと言われて仕方なくさびしく微苦笑に紛らしても、そこがまた悲しいのだが、ふざけた顔にしか見えず、所詮悲しい顔ができないのだ。この差別、不条理をどうするのだ。基地について、沖縄県民への差別が問題とされているが、沖縄県民は引越せば基地の被害からは遠ざかる。だが、ブスは引越してもブスだ。また、アメリカに行けばなんとかなるかというと、ブスに国境はないと思う。また、よく、「美人は飽きるけど、ブスには飽きが来ない」と言って慰める人がいるが、確かに飽きはこないが、それは常に新鮮な驚きがブスにはあるということで、慰めになってないのである。

　ここまで書いていて、どうも、「ブス」という言葉がいけないことに気がついた。何か、茶髪の高校生が多発するような、味わいも奥行きもない砂をかむような言葉である。教養が感じられない言葉である。いつからブスというようになったかわからないが、由緒のある言葉とは思えない。
　昔は「醜女（しこめ）」といった。まだこちらのほうが味わいがある。学生のころ、新潮文庫かなんかのフランスの現代小説で『醜女の日記』という本があり、いつか読もうと机の上に置いておいたが、数日間、表紙のタイトルを眺めているうちに、どうせ醜女の考えることである、どんな日記なのか、内容がわかる気がして読まなかった。それはともかく、この「醜女」の語感もなにか決定論的である。救いがない。いろいろ考え、これからは「ブス」の呼称はやめ、「B」と呼ぶ。やや安直ではあるが、和らいだ呼称だ。
　さて、この非差別的なBであるが、日本に一体いくらくらいいるかが問題である。高校時代を思い出してくれたまえ、そこで学年一のB、といえば、これはもう押しも押されぬBであるのだが、１クラスには２０人の女子がいて、１学年５クラスとすると女子１００人に一人が、いわゆる真正のBといえる。すると日本の総人口から、約６５万人日本女性がBであることが、わかる。つまり、B全員を一か所に集めると、島根県または熊本市または大田区ぐらいの人口となる。大変なことである。またこれを、B’（ビーダッシュ）まで範囲を広げ、B’とはクラスで一番のBということだが、その人たちを集めてみるということだが、なんと全国で３２０万人となる。これは、茨城県を凌駕し、横浜市に迫り、国ではモーリタニア、ウルグアイくらいのいきおいとなる。こんな計算をしているうちに、何だかBを一か所に集めてみたくなってきて、そんな市にいったらすごいだろうな、と想像される。どこを見ても、Bなのだ。そんな街を旅したら、駅に着いた途端、出会うプラットホームを歩く人も、駅員さんも改札掛も、駅前の横断歩道を渡る人も、振り向いて行き先を聞くもタクシーの運転手も、窓から見える通学の女子高生も、チェックインするホテルのフロントも、スーパーで買い物をする主婦も店員も、飲み屋のママも、女子大の生徒も先生も、婦警もみんなBなのだ。想像するにくらくらしてくる。。
　論旨が乱れてきた。私が言いたいのは、この不条理なB差別問題を解決しなければいけないということである。私は、かばい甲斐のない、鳩山のような口先だけのタイプではない。小沢一郎のように、自分の信ずるところを実践するタイプである。私は、B差別問題解決に、自ら進んで身を投げているのだ。SAPでは、社員採用に際して、B枠、B’枠を設け、しかもその数を年々増やしている。不言実行である。今や、ほとんどがBだ。オフィスはBの花盛りである。B特有の、漢方薬のような香りが立ち込めている。嘘だと言うなら、来てみりゃいい。





        
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    <title>鳩山氏をかばう</title>
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    <published>2010-05-27T13:04:02Z</published>
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    <summary>　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎 飛鳥の楽天世界遺産劇場が終わりました。...</summary>
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        　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎


飛鳥の楽天世界遺産劇場が終わりました。
5000人の入場者が3日間も続いたのは初めてであり、奈良県や明日香村などの行政をはじめ警察、消防、近鉄、奈良交通（バス）、ジャニーズ様,オーガスタ様、グラシアス様という事務所様、仲間のインパクト、多分仲間のグリーンズ、ビーイング、ユナイト、ぴあ、そして強力な助っ人朝日新聞社奈良総局の馬場さん明日香村の藤田さんとの、胡蝶蘭のように美しく咲いた３人中年男の友情（熟れきったものですだ）。ともかく、たくさんの人の御協力なしには、できなかった。ありがとうございます。
今はほっとしており、そこで少し余裕ができたところで、ゆったりと世間を見回してみると、鳩山さんの評判がすごく悪い。
私は、人から大いに嫌われており、自覚しているだけで累積700人ぐらいに嫌われている。私のほうが感知しないだけで、「我慢しているけれど、本当はあなたが嫌いなの」という人たちは、およそこの5倍はいると思われるので、結局4000人くらいから嫌われていると思う。どうだ、この数字は、すごいだろうと、平生から人に自慢していたが、鳩山さんにはあっさり抜かれてしまった。朝の5時３０分からですよ、みのもんたのニュースショーの冒頭から、写真入りで「あきれましたねー」と、眠い目をこすりながらみの氏に叱られ、それから続くどの番組でも、自分のことを棚に上げたつまらぬ出演者に「こんな首相をいただくのは、本当に恥ずかしい」と亡国の首相よばわりされ、以後、昼も夜も夜中のニュースまで、１日１７時間時間、どこかの局で悪口を言われ続けている。ちなみに、テレ朝のニュースショーでは、ちょっと前まで、「こんばんわ、古舘です。春とは思えない寒さですね」といってたのが、「こんばんは、古舘です。今日も、鳩山さん。こんなことでいいのでしょうか？」と鳩山さんの悪口は時候の挨拶代わりとなってしまった。

私は、実は、鳩山さんには恩義があるのだ。これだけ悪口を言われているとなると、論点はともかく、恩返しの観点から鳩山さんをかばわなければならない。

恩義というのは、こういうことだ。飛鳥の世界遺産劇場の準備期間中にいろいろ辛いことがあった。お金が絶望的に足りない、無数の要求が、それも叱責に近い口調の要求が無数の人たちから寄せられ、それが解決できなければ、幕があかないと思われるけれど解決はできず、いたずらに日数は過ぎていき、苦悩にさいなまれていた。そんなとき、唯一の救いは、「何だこんなことぐらい。鳩山さんの身にもなってみろよ。」と、自分に言い聞かせることだった。「そうだよな、鳩山さんの境遇に比べれば、屁みたいなものだ、何のこれしき」と自分に言い聞かせると、かなり気が軽くなり、救われたことが何回もあった。（これが「小沢さんの身にもなってみろよ」と言い聞かせても、気は軽くならない。逆に、「いいな~、小沢さんは。秘書や子分に『ばか、お前が責任をかぶれ』と怒鳴れば済むのだから。私にはかぶせる子分がいない」）


そういうわけですから、これから鳩山さんをかばいます。
口先だけ、リーダーシップがない、沖縄の人の心が読めない、成算もないことを思いつきで言う、アメリカからも評判が悪い、鳩山さんはこれらの諸点が非難をされている。何よりも成果を出していない。しかしながら、私たちは結果はどうでもいい、やってみようという気持が大切なのだ、と教わってきた。学校で、「一生懸命やってみなさい、結果は悪くても、やろうとした気持ちが貴い」ということを一貫として教えられた。テレビドラマでもそうだ。失恋しても、仕事に失敗しても、「気にするな。もう１回チャレンジすればいい。それでだめならもう１回やってみろ。見ろよ、夕焼けがやけにきれいじゃないか」ということで終わる。つまり、結果はどうでもいい、気持ちが有り難い、というのが戦後日本の黄金律なのだ。結果や勝ち負けにこだわるのは、汚い奴、とされている。会社でも、学校でも、スポーツでも、「気持ちが大事」は適用される黄金律なのだ。鳩山さんはその黄金律に沿って行動をしたのだ。国民は、「その気持ちがうれしいじゃないか、結果はともかく」と喜ばなければならないのである。

そもそも沖縄県民にのみかかっていく重い負担、いっぽうで基地は沖縄でなくてはならないという矛盾を解決するのは、大変なのである。しかし実は、私には腹案がある。鳩山さんが聞いてきたら教えてあげようと思う。それは、１年ごとに、各県持ち回りで沖縄に引っ越すのである。全国民が代り番こに、沖縄に住むのである。これは景気浮揚にも、JAL救済にも効果があると思う。


        
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    <title>社員教育</title>
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    <published>2010-03-16T10:19:49Z</published>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

　人こそ宝です。ことに会社組織は、人材がすべてといっても過言ではありません。だから、社員教育には、日ごろから力を入れてます。
　私の教育法は緻密で、人と場合によってやり方を変えますが、おもに３つの方法を多用しています。すなわち、「怒る」、「机をたたくなど激しく怒る」、「脳の血管が切れる寸前まで大声を出して、死を賭して怒る」３パターンが多いのです。しかしあまり成果が上がりません。しかも、抗生物質と細菌のような関係で、繰り返しているうちに、社員の体内に耐性物質ができてくるのです。おおよそ３年ぐらいたつと、私のいかなる怒鳴り声にも、社員はまったく反応がなくなってしまうのです。
　知り合いの、やはり社長で、私の会社より社員も多く、事務所もきれいで、温厚かつ羽振りもいい人が私をたしなめていわく、「有川さん、そう社員を怒っちゃまずいな。誉めてやらなきゃ。自分だってそんなにえばれたもんじゃないでしょ。私なんてかえって、社員に学ぶことが多いのだよ。ともかく、怒るより誉めろ。いいかい？」。その偽善者振りには反吐が出るのだが、ま、一理あるかな、と思い、社員をほめまくってみたこともあった。
「おや、真美ちゃん、いい仕事しているねー。どうだい、このチラシの出来具合は。すかっーとしたＡ４で、表があざやかなカラー、裏がしぶーく墨１色ときてるよ。いいセンスしてるな。なかなか出来ることじゃーないよ、このチラシってーもんは。しかも仕事が早いときているから、恐れ入り屋の鬼子母神だね。鬼に金棒、真美ちゃんにチラシ。きれいに刷り上って、ほのかに香ってくるインクのにおい、これが値打ちだね。もったいなくて配れませんよ。このチラシを見て、チケットを買わなかったら、これは人間ではありませんよ、人の皮をかぶった動物だよ。よっ、天才、若可士和！」、と部下の担当したチラシ１枚に大げさに誉めたて、自分の言葉に吐き気を催しながらも、社員の教育のため、能力向上のため、と信じて誉めまくりました。が、効果はゼロ。能力は微動だにしない。ただ、馬鹿が笑ってた、というだけで、変化なし。

そんなことで、ふたたび私の教育法の原点に戻り、死を賭して、社員の教育に励んでおります。


        
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    <title>タフネゴシエイター</title>
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    <published>2010-03-11T15:21:41Z</published>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

交渉は、私に苦手のうちの一つである。もちろん、他にも、苦手なことは、山ほどある。英語のヒアリング、一日以上のダイエット、お世辞に対する防御心、お葬式のお悔やみ（特に本心から言うもの）、下手な落語家、異性のヒステリックな攻撃、すっぽん料理（その他いかなる爬虫類料理も）、警官、ホテル・フロントや薬剤師などの回りくどい説明、虫歯のドリル、社員の教育、社員への愛情、社員への感謝心、社員への給与支払など苦手なものはきりがなくある。毎日、苦手の海で生活しているといってよい。しかし、それらは苦手といっても、できなくとも生命に異常はないから避けて通ればよいが、交渉は別で、ビジネスではこれが上手でないと会社の経営に死をもたらす。私は社長である。苦手でも、交渉はする。そしてうまくいかない。過去に、この交渉、うまくいったな、という経験は一度もない。
交渉で苦手なのは、交渉にはかけひきが大事で、本音を言ってはならない、というところにある。
たとえば業者を値切るときは、「別にそんなものは欲しくないぜ」「半値でやってくれるところも何社かあるしさ」「なきゃないで済むしね」などと事実に反することを言う、それが私にはできない。気が弱いから相手が怒ると怖いから、ということもあるけれど、相手以前に、事実と違うことを言って、自分が平然としている度胸がないのだ。もとの女房は的確に私の嘘を見抜き、「明日の日曜、オレ、出かけるよ。仕事が入っちゃってさ」、とか、「来年あたりパリに行こうか」、とか、「何のかんの言って、君といるときが一番心が休まる」というと「あなた、嘘でしょ」と決め付ける。あなたが嘘を言うときは、小鼻がぴくぴくするからすぐ分かる」、別れる時に教えてくれたが、小鼻の動きは私の良心の揺らぎである。

交渉のうまい人は、だいたい無口だ。私は無口に弱い。「ねえ、10万円で如何ですか？」とこちらが、切り出しても、能面のような表情を崩さず、はっきりとした反応はない。
私は行き詰った、空気の止まったような雰囲気に弱い。かもしだされる緊張感を堪えることはできないのだ。
なんとか場を和らげなければと思う。「えー？　ダメなんですか？　それじゃ15万、それで決めましょうよ」、それでも返事がしない。表情も変わらない。まずい、相手を怒らしたのだろうか？
この不気味さに負けて、話が弁解じみてくる。「いや、お金があれば私、こんなこと言いたくないですよ。ないもんですから、つい、失礼しちゃって」としどろもどろに謝ったりもする。
ダメ押しの鋭い視線を相手は投げかけてくる。こうなってくるともう無条件降伏、「分かりましたよ、それじゃ18万円。これで決めてください。ダメかなー、ジャもう最後ですが20万円、これで決めましょうよ、それで楽しい話でもしましょう」などと、自問自答をしながら、自分で値を吊り上げていくという、馬鹿馬鹿しい結果となってしまうのだ。

私は交渉はもうしないことにした、交渉する能力はないのだから。
すがって泣きつくか、あとは最初っから腹を立てて駄々っ子のように振るまうかしかない。

        
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    <title>酒か女か？</title>
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    <published>2010-02-10T13:57:54Z</published>
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    <summary>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎 学生の頃見た...</summary>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

学生の頃見た西部劇で、主演のロバート・レッドフォードが、がんがんと日の照る荒野の真ん中で、やおらポケットからウイスキーのびんを取り出し、ぐいぐいと飲み干し、「女もいいが、酒が一番だ」とつぶやいて、びんを投げ捨てる。その頃の私は「女が一番だ（注①）」と思っていたので、この台詞は新鮮な言葉に感じられた（注①；この間違った信念のため、のちに大変な辛苦を味わうことになるのだが、当時はそう思っていた）。その甘ったれた私ですら、ラッパ飲みにウイスキーを飲むレッドフォードの姿にしびれ、また、「酒が一番だ」との台詞にも、深い感動をおぼえ、男はこうならなければならないと思った。早速マネをすることにして、近所に荒野っぽい所はなかったので、駒沢公園に行き、ファミリー広場の芝生で仁王立ちをし、ウイスキーの角をラッパ飲みした。周囲に若い女性グループや家族連れが何組かいたが、誰も注目をしてくれなかった。当てが外れたのだが、いきがかり上、飲み続け、飲み終わって、「やっぱり酒が一番だ」とつぶやき、つぶやいてしまうとすることがなく、茫然と立っていたら、夏の日を浴び、急に酔いがまわってきた。崩れるように芝生に横たわり、眠ってしまった。目を覚ましたら、顔の周りの芝生がゲロだらけだった。　　　　　　　やはり、アメリカ人の男らしさの表現を、日本ではそのままはとおらないのだと思った。
国情の違いということでしょう。

「○○が一番」というときの○○は、どんなときでも自分を受け入れてくれ、世間のつらい仕打ちを忘れることができるものだろう。60過ぎの上品な婦人が、猫をあやしながら、「猫ぶんぶん、猫ぶんぶん。やっぱろ猫がいちばん」と一人言を言っているのを聞いたことがあるが、気分が出ていた情景だった。

さて若年の私は、女性が全てを救ってくれるものと思い込んでいたが、三十歳をいくつか過ぎた頃から、女というものは単にやさしい肢体をしているだけではなく、その肢体の上に頭があって、その中にはどす黒い猜疑心や、実にけちくさい物欲、死ぬまで執念を燃やす復讐心などが詰まっているということが分かってきた。そして、そういうよこしまな頭部は要らない、肢体のみを取るというような、いいとこどりというか勝手なことは女性が許さないということも分かってきた。つまり女体には、女性がついてくるのである。そこが問題なのだ。

この問題はもう三十年も抱えているけれど、解決はしていない。解決はしていないのですが、年を経て、そもそも女体のほうも関心が薄れ、だんだんどうでも良くなってきて、つまり女は一番の座から滑り落ちて久しいのです。

今は、何が一番なのか？と自問するに、　山上憶良や世間一般はこどもが一番というようであり、私にもこども（3人）もいるけれど、これは生まれて以来いっさい関心がなかった。これからもないだろう。酒はもとより好きでない。読書？　昔は本の虫と言われたこともあったけれど、今では２,３ページ読むと寝てしまう。音楽もレコードCDは1000枚以上あるけれど、新しいものは一切受付けない、若い頃聞いたものを繰り返し聞くことしかできなくなってしまっている。それも退行現象は烈しく、２,３年前までの７０年代フォーク一本やりから、今は童謡唱歌に限られてきた。幼稚化しているのだろうか。食べることは、残された最後の本能だが、味道楽・美食家とはほど遠い。好むのは、風呂のなかで食べるカップヌードルと布団のなかで食べる最中アイス、味というより、だれきった雰囲気がいいのだ。金は大好きだが、ほっとするほどあったためしがない。「やっぱり金が一番だよ」といえるほどの金を持つ経験はしないままに、私は死んでいくのだろうか。
こうしてみると私にとって一番は、ない。諸行無為、諸法寂滅の境地は、こういうことなのだろうか？　来世は近い。

　

        
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    <title>一陽来復</title>
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    <published>2009-12-22T17:18:10Z</published>
    <updated>2009-12-22T17:18:10Z</updated>
    
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2010年、年が改まりました。おめでとうございます。
年は改まっても自分は改まらなく、昨年と変わらず、十年前とも変わらず、いや生まれて以来何も改まらぬ己に恥じ入る次第です。暮れに来て、社員がバタバタと三人やめて、中に二人は明らかに私に反感、というよりも私を嫌悪して辞め、そういうことは今夏にもあり、私の声を聞くのもイヤだと、常々言っていたという女子社員が一本の短いメールを残して忽然と姿を消しました。私は、他の社員の手前もあるので、「不思議だね、どうしたのかな。失恋でもしちゃったのかな」とまったく退職の理由がわからない振りをしていましたが、実は私の存在が原因でやめたので、これはすぐに分かっていたのです。この不景気に働き口のあてもなく、それでも私が嫌いで辞め、論語の「苛政は虎よりも猛し」とはこのことかと感に堪えました。ひどい君主から逃れて、虎が出て家族が食われてしまうようなところに住んでも我慢する、という意味です。つまり、ひどい君主が私にあたり、失業の苦労は虎に当たるのですね。
故事成句などに詳しい割には、私は生まれて以来、人に好かれる事がきわめて僅かに過ごしてまいりました。このままで死んでいくのも如何なものかと思い、年も改まり、残りの人生は一転して、好かれて好かれて好かれまくって過ごそうと、一念発起をしました。
悲しいかな、今尚、人に好かれる、という感触が思い出せず、というよりも、今だ経験をしたことがないから、好かれた場合のわが心の状態や、どのようにその心を始末をつけたらいいのかも分からない。
もとより、どうしたら好かれるのか術を知らず、ひたすら柔顔和語、ニタニタと腑抜けのような顔つきで人にさからわず、馬鹿な意見でも「いいですねー」「それはすばらしい」とつぶやき、特に女性に対して気をつけ、酒の場と言え卑猥な野次を飛ばさず、年少の部下にも長々と説教･自慢話・からみ話はしたくなっても我慢し、また加齢臭は嫌われる元と聞き、泥炭石鹸でこすりあげ、好きなキムチ・餃子もたちました。今のところ、目立った効果もなく、特に誰に好かれたという気配はないのです。むしろ、今までどおり嫌われていることに加えて、腑抜けな点が小馬鹿にされているような気もしないではないのです。しかし千里の道も一歩から、年末までには、好かれのめどをつけたいと考えてます。


        
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    <title>酒</title>
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        　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

　酒はあんまり飲まない。懇親の場では仕方がないから、少し飲むけれど、ひとりで飲むことはまずない。
　もともと酒は好きでもないのだ。学生の頃は、酒を飲むとよく吐いた。なんてイヤなものだろう、もう決して飲まないぞ、酒は、と誓いながら、トイレで苦しんでいた。
ところが、卒業して出版社に就職すると、そんなことは言ってられ、なくなった。ともかく周りが飲むのだ。編集長と昼飯に寿司でも御馳走になると、たっぷり２時間、同僚の悪口を聞きながら、ビールを数本は飲む。夜、暇があると、先輩に連れて行かれて、三光町、ゴールデン街、緑陰街、四谷しんみち通り、荒木町。六本木や渋谷など軟弱なところには行かない。新橋、池袋など会社員っぽいところにも行かない。先輩は、「おや、みっチャン、すっかり主婦の手になってしまったね」と気の利いた言い回しをして見たり、天井を凝視しながら「感性は思想を凌駕し、そして風景が感性を凌駕する」などと物凄そうなことを言ってみたり、私が感心しながら聞いていると、「おい、有川、いいから飲め」。夜中の２時以前には、帰るとは言い出せなかった。忙しいときは、会社で飲む。たいていの編集員は、机の引き出しに、ウイスキー、泡盛、ウオツカ、まれにブランディなどを入れておき、校正をしながらちびりちびり飲んだり、著名な作家の原稿を整理しながら、「こいつ、くだらねーこと書きやがって」と悪口をいい、やがて周囲の同僚と口げんかになり、私といえばレイアウトのデザイナーと部屋の隅で、テーブルに座布団を載せて「こいこい」をして、そうやってご機嫌を取らないと古株のデザイナーは仕事を始めてくれないのだ、やはり、ウイスキーなど飲みながら札を撒く。４０年も前の話だ。
　そんな生活をしているうち、少しは酒も飲めるようになっていった。
　４０を過ぎてから、酒で乱れるようになった。からんだり、悪騒ぎをしたり、何よりも、ブラックアウトすることが増えてきた。どうやって帰ってきたのか分からない、もとより何を言ったのか覚えていない。周囲の人に、ずいぶん不快なめに合わせたと思う。
　それで、もっと和やかに酒を飲もうと、ホステスなど女性のいる酒場に行くことにした。ところが、これがつらいのである。何を話してよいか分からない。こちらが話すこと、すなわち部長の悪口、宇宙の構造と進化の不思議、太宰の自殺について、金融業は賎業と断じられる3つの理由などの話題には、女は一切興味を示さない。女の話題はといえば、テレビ番組でのタレントの振る舞い、タレントの着ている洋服、タレントと偶然一緒になったレストラン、タレントの両親のうさんくささについてなどで、私は関心がないし、そもそも一切知識がない。
　沈黙が続き、無聊の余り、ふと、隣の女の子の長い髪の毛でもなでたりすると、「やめてー、気持ちワリー」とか、たいしたことでもないのに大げさに騒がれて、しかし、大変ばつの悪い思いをする。高い金を払って馬鹿馬鹿しい限りである。
　そこで、若い女の居ないようなところ、たとえば焼き鳥屋、おでん屋、きたない居酒屋など行くようにしたが、これがまた、品の悪いババアなどが仕切っている場合が多く、たいていは客に無闇に説教をしてくる手合いで、「有ちゃんも、そんなこと言ってたら、まだまだガキだね。苦労が足りないよ。あまいあまい」とくどく、口汚くののしり、だいたい場末の飲み屋ババアに人生を説く資格があるのか。それほど人生が分かっているなら、いつまできたねー店にいるのだ。それにしても、ババアの店の客は、概して、ふがいのない者が多く、横暴ななババアの態度に抗議すらせず、何を言われても、弱よわしく迎合のあいそ笑いを浮かべ、屁のような話をしながらだらだらと飲んでいる様子は、見ているだけで苛立つ。
　そんなことで、５０を過ぎた頃から、外の酒場では飲まず、もっぱら自宅で飲むことにした。もとより妻は喜ばず、手酌で一献始めるとすぐに「私はお先に」とさっさと自室に引っ込み、仏頂面の相手ではこちらが御免蒙るから、別に悔しくも何ともない。しかし、家の中で天井を見つめて酒を飲んでいても馬鹿馬鹿しいので、庭に出て縁台に座って飲む。すると飼い犬のジョン(コリー種)が縁台に乗ってきて、差し向かい飲む。犬はババアと違って説教はしない、何をぐちっても反論をしない。また、キャバクラ嬢と違って髪の毛を触っても文句を言わない。そこが、犬はえらい。そもそもどこまでを髪の毛というのか、背中または顔との境目が犬の場合、分からないということはあるが、酔っ払ってくるとそんなことはどうでもいい。ただ、犬には悪いことがあり、それは酒のつまみを食ってしまうことである。トイレにたって戻ってみると、ホテイの焼き鳥缶詰はきれいになくなっている。ジョンは戻ってきた私に無邪気に尻尾を振って見せるが、犯人はすぐ分かる。そこがジョンとは言え、犬のおろかなところだ。
　雨が降ったりするときは、扇風機を相手に飲んだ。「すず風」とか「そよ風」とか名前もしとやか、ピンクや薄いブルーの透明な羽を回しながら、ゆったりとかしらを振る。酔って来ると、なんだか、京都のすこし年増の女性が、微笑みながら、酒の相手をしてくれているような気分になる。声も聞こえるような気がする。犬と違って、おかずを食べない。なにか朦朧としてくる。桃源郷というのだろうか。
　妻と別れ家を出、ジョンとも別れ、扇風機とも別れた。
　それで、酒は今は飲むことがほとんどない。

        
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    <title>公理系</title>
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    <published>2009-08-04T14:17:03Z</published>
    <updated>2009-10-13T15:47:59Z</updated>
    
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        <![CDATA[　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　有川雄二郎

公理系：人生における経験と動物的な直感によって、最近において、真実だと知った世の中の基本原理（多分）。

<strong>公理①：他人は、おしなべて、私を嫌いだ。</strong>
　　　　証明A：しかし人は、それを口に出しては言わないものだ。
　　　　証明B：他人が私を「嫌う」という感情は、具体的で、永続的で、揺るぎのない事実であるが、他人が私を「好き」ということは、一時的で、移ろいやすく、そもそも幻想か錯覚である。
　　　　証明C：現在、1000人くらい嫌われているので、今更、私を嫌う人がもう一人増えても怖くない。
　　　　証明D：人にお金をあげたりすると、少し好きになってもらえるが、その感情はお金を渡してから、数分でなくなる。

<strong>公理②：1万円札を燃やす人は、誰もいない。</strong>　　　
　　　　証明A：サブプライム問題やバブル崩壊で何百兆円も失われたというが、そんなことはない。バブルがらみのサブプライムの金融商品を買った人の財布からはお金はなくなったが、お金を返さないプエルトリコ人の老婆とか、家を建てたアメリカの大工さんとか、年収何億円の金融商品セールスの社員とかに、そのお金は渡っていった。つまり、お金は散らばっていっただけ。
　　　　証明B；日本やアメリカが不景気対策で発行している国債の100兆円以上のお金　　も、一度、世間に出たら永遠に世の中から消えない。あとで、帳消しにするには、政府が税金で集めて全部燃やすしかないけれど、政府はそんなことはしない。集めた税金はまた、使ってしまう。そこで、世の中の金はどんどんたまっていく一方である。
　　　　証明C：たまった金を、人は金融機関に預けようとする。家においておくと、女房に盗られるから。
　　　　証明D：金融機関は預かった金を運用しようとする。銀行は運用しないと食っていけないから。
　　　　証明E：しかし運用先がないから、株とか債権とか証券とか金融商品に投資をするしかない。　　　　　　　　　　　　　　
　　　　証明F：そこでまたバブルが起きる。
　　　　証明G：だから今のうちに、株を買っておくといいのだが、私は勇気がない。

<strong>公理③：年をとっても、人は賢くならない。</strong>　　　
　　　　証明A：60歳になると、顔にしわがよったり、頬の張りが失われたりして、人は思慮深くなったように見える。
　　　　証明B：しかし、60歳の人間は、少年のときと同じように欲が深く、エゴイストで、同情心に乏しく、何の分野でもいい知恵は浮かばない。
　　　　証明C：私がそうだ。

<strong>公理④：人間は我慢をしても、あんまりいいことはない。</strong>　　　
　　　　証明A：妻の話を我慢して聞いていると、テレビドラマのストーリーや、洋服のバーゲや、妻との海外旅行に関心があると思われ、面倒なことになる。
　　　　証明B：好きでもない上司の自慢話を我慢していると、終わらなくなって、深夜にな　てしまう。
　　　　証明C：トイレを我慢していると、便器や下着を汚す原因となる。　

　　　　（続く）
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    <title>暑中見舞い</title>
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    <published>2009-07-24T10:02:58Z</published>
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        <![CDATA[<strong>暑中お見舞い申し上げます。</strong>夏は毎年暑いのですが、冬の間はそれを忘れてしまっていて、こうして1年たってみると夏は暑いものと新鮮に感じ不平を言い、そんなことを数十年繰り返していると人間はどうしてもくどくなるのです。話は変わりますが、私のような仕事をしていますと、俗に言う『クレーマー』と言う人たちに遭遇し、「コンサートの音がうるさい」とか「せっかくの名所がステージのおかげで見えなくなった」とか「何の権限で通行止めにするのだ」とか「整理員に粗雑に扱われた」とかいろいろな理由で文句を言い、「責任者を出せ」と怒鳴られると皆が私を推挙するものだから、仕方なく応対し、人の多いところはまずい、テント裏に案内し、面倒だから反論はせず、ひたすら謝り、頃合を計って面を上げ、相手を見ると男性、年の頃は60歳前後がほとんどで、クレーマーとはつまり、私の年頃だ。定年になりたての年頃、身をもて余し、前と違い構ってくれる人もなく、面白くもなく、何かと権利が侵害され、何より理屈に合わないことがまかり通るのが許せず、心をもてあます毎日、そんな気持ちは同年代だけに実によくわかるのです。気持ちはよくわかるのですが、それにしてもくどく、なかなか終わらないのがこの人たちの常で、応対している私は鬱憤がたまるのです。そういうことではいけませんので、東京に帰ると、私がクレーマーになります。店員一般、区役所の係員、銀行の窓口、タクシーの運転手、空港の警備員、ホテルのフロント、JASRACなどが標的で、理不尽な言い訳、犯罪的な遅延、差別的な応対などについて長々とクレームをつけます。ただし警察でやると暴力的に対応され、また税務署ではあとで税金を追徴されます。皆さんは気をつけてください。<strong>盛夏</strong>]]>
        
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