面接

                         有川雄二郎
小社の社員2名が急に辞めることになって、募集をしました。朝日新聞に広告を出して、20名くらいの応募を頂いたので、面接を始めたところです。
20名もの方は、どんなつもり来るのか知りませんが、私自身の面接はというと、大学を卒業して、就職試験のときに2回しました。
一つ目は平凡社。前の晩、ガールフレンドと夜遅くまで生死を分けるような騒ぎがあり、結局同衾をして解決する次第となり、それはそれでよかったのですが、その騒ぎのため目覚ましをかけるのをすっかり忘れてしまい、翌朝、目が覚めたときは指定の面接時刻を過ぎていました。平凡社に電話をしたら、五十音順で面接を行っているので、最後の人(たぶん、渡辺さんと綿貫さんとか)が終わるまでに来れば、特別に面接してあげよう、ということでした。走りまくって、や行の吉田さんみたいな人のあとに割り込んで、間に合ったのでした。面接が終わった後、彼女が心配しているといけないので、平凡社の玄関の公衆電話から彼女に、「平気、平気。ちゃーんと入れてもらったからさ。面接? それはまかしといてよ、年寄りをだますのうまいじゃない、俺の場合。役員なんかさ、俺の話に目をうるませちゃって、楽勝でしょう、この会社は」とか話していたら、隣で電話してた人が当の平凡社の試験委員で「うちの会社、そんなに甘いもんでもないんだよ、有川さん」と言われて、あっと驚き、これはもうダメかと思っていたら、案外合格していた。
その余勢を駆って、二つ目、朝日新聞を受け、これも面接まで行ったのである。筆記はまあまあで、特に論文は「帽子」という課題に対し、「戦前のニュース映画などを見るに、昔はみんな良く帽子をかぶっていた。帽子の種類も多く、貴顕は山高帽、官員・会社員中折れ帽、株屋・探偵・新聞記者は鳥打帽、芸術家はベレー帽、農民は麦藁帽、労働者はつばのついた作業帽と、帽子で職業を表していた。これは衣冠十二階から始まる身分を帽子(冠)であらわす日本の歴史的な伝統もあるけれど、戦前は己が職業への帰属意識が大きく、また職業のもたらす生活と意識の区別が厳然とあり、自己の記号化として職業すなわち帽子を強調していたのであろう。今日では、人は職業からの呪縛を受けないので、帽子をかぶらない」と、三十数年過ぎて、今思い出しても、才気溢れんばかりの文章を書き筆記を突破し、面接に臨み、待合室で見回すといずれも白面の貴公子のような受験生、頭もよさそうである、このままだとまずいのではないかという思いに至り、面接では意表を衝く戦法に出ようと決心した。急遽、それまで考えていた「朝日は素晴らしい、粗忽な私ではあるが、是非その一員となって社会のために貢献したい」みたいなおべんちゃらをいうのは止めとし、「あなた方は気がつかないだろうが、朝日紙面には重大な欠陥がある。このままでは将来が気遣わしい」と眉をひそめれば、試験委員の長老たちは「おもねることのない、純真な青年」と勘違いをするのでないかと考え、敵前大回頭を試みたのである。ところが、たちの悪い試験委員が居て、「朝日が良くないというなら、君はどんな新聞を読むのだね」といい年をした大人が、年端も行かぬ私に絡んできて、今であればどうにでもあしらうことが出来るものを、当時は純白でまともに答え、「えーと、たとえば東京新聞」と少し前に家に勧誘に来た新聞をいうと、「東京新聞のどこがいいのかね」と意地悪く畳み込められ、思わず「新聞代が安い。たしか970円」と勧誘員に言われたとおりにいうと、「君は、新聞は安ければいいというのかな」とあくまで新聞記者というものは底意地が悪い。別の試験委員からも「君は喧嘩早いたちなんだね」と、喧嘩を売られ、散々な面接であった。それでも、平凡社の例もあり、受かるのではないかな、とかすかな期待を持ってはいたけれど、あえなく失格、平凡社ほどの度量はなかったのだ。
もっとも、平凡社は度量がありすぎたせいか、入って10年したころ経営が悪化し、社員はリストラの羽目に、私もやめました。一方、朝日は、その後も悠々の経営。わたしが人生上で得られた数少ない教訓のひとつに、「その社の将来は、面接のときの試験委員の様子を見ればわかる。底意地が悪ければ、その社の将来は安泰と見たり。温情は危ない」。
さて、そんなわけで朝日を落ちた私ではあるが、なぜ私を落としたのか釈然としないものがあったので、数年過ぎて、平凡社、雑誌「太陽」の編集部員のころに、無理に朝日新聞編集局長のインタビューのページを雑誌の中に作り、荒木経惟さんをいざというときの用心棒とカメラマンをかねて同行してもらい、取材に行き、本題もそこそこに、「いったい朝日新聞はどういう基準で採用をしているのか。明らかにして欲しい」と訊ねると、一柳東一郎編集局長(後に社長になった)から「出身大学や出身地が偏らないようにすることも必要なので、試験の点数が良くとも落ちる場合がある。多分そういうことだったのでは」と慰められた。が、「それは悪いことをした。今から入れてあげます」とは言われなかった。
その後、不思議なご縁で朝日新聞社の社員の方とは無慮二、三百人と面識を得、そこでつらつら考えるに、識見・人格共に私に遜色はなくむしろ優っている点も多々見受けられ、そこで「貴社は中途採用をしているようだが、私を採用したらどうか。私は59歳だから1年で必ずやめるから、退職金も辞退するし」と申し出ましたたが、だれも取り合ってくれないのだ。一方の平凡社のほうはというと、「平凡社OB会」なるものを作り、年に1回の会合(宴会)を行い、囲碁のサークルでは泊り込みの合宿などが続き、これはこれで、我々をリストラしておいて「OB会」を作るというのは妙な話なのだが、度量がある企業、ということなのでしょうか。余談ではありますが、OB会に集まる顔ぶれをつくづく見るに、老いたりといえどもいずれを見ても怠け者、陰気もの、不平者の面影はくっきりと残り、こんな奴らが居たのでは、社は危ない、やはりリストラは正しかった、と今更ながら下中社長(当時)の明敏なご判断には恐れ入るばかりです。
私の面接というと、そんなことでしたが、今度は私が試験委員。あくまでも底意地悪くのぞもうと思ってます。

コメント

こんにちは、お久しぶりです。
1年前のこのGWは東大寺での「ゴダイゴ」・「狂言」公演でしたね。
1年、早いです。


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